\徳島特集!/
ええじゃないかな「踊狂」阿波踊り!
「踊狂」と書いて「おどりくる」と読みます。
これは阿波踊りになぞった言葉ですが、まさに阿波踊りは「おどりくる」にピッタリな踊りです。
同じように幕末に大流行した、ええじゃないかという踊りがあります。
どちらも「おどりくる」という表現が似合う踊りです。
では
なぜ「おどりくる」踊りである「阿波踊り」と「ええじゃないか」は大流行したのでしょうか。
今回は
阿波踊りの過去・現在・未来について私見を述べます。
また
ええじゃないかの進化版と思わしき「はいよろこんで」についてもご紹介します。
人はなぜ踊りあるいは参加型音楽に魅了されるのでしょうか。
この記事であなたが思う参加型音楽や阿波踊りについて、さらに私見が広げればと思っております。
阿波踊りはこうして誕生した!
阿波踊りの起源は、いくつかの説があります。
おおよそ阿波踊りは約400年前に誕生したというのが一般的です。
阿波踊り起源説にどのようなものがあるかというと
- 徳島城築城のタイミング
- 盆踊りの派生
- 風流踊りという能楽が発展した
- 空也の念仏踊り
- 先祖の霊を供養するため
いずれの説も民衆から端を発し、踊りにまで昇華したというものです。
そして幕末に大流行した「ええじゃないか」に影響され、現代の阿波踊りが誕生したというわけです。
阿波踊りとええじゃないかは、起源において異なっていますが、民衆から端を発しているという意味では一緒です。
民衆のエネルギーが踊りという形で昇華した!
といった感じです。
また徳島が本家本元ですが、現在ではその他の地域にも派生しています。
特に有名な阿波踊りは「日本三大阿波踊り」と称されています。
日本三大阿波踊りとは
- 徳島阿波踊り
- 東京高円寺阿波おどり
- 南越谷阿波踊り
となります。
個人的に、阿波踊りは徳島しかないという思い込みがありましたが、関東にまで阿波踊りが派生していることが興味深く感じられます。
やはり民衆のパワーを「踊り」という共通言語によって全国に広がったという印象を受けます。
たしかに踊りというものは、何も考えずひたすら踊ることに集中します。
空也は「踊る」という行為を「捨ててこそ」という言葉で表現しています。
例えば、行為には必ずギブ&テイクという考えが付きまといます。
これだけ頑張ったから必ず結果がでる!
優しくしたから優しくしてもらえる!
神社で祈ったからご利益がある!
誰もがつい損得を考えますが、現実は思うような結果が出ないことの方が多いです。
与えない人間に腹がたつ
自分だけは損をしたくない
これも人間の性というものでしょう。
そのような人間のエゴというものを一切排除したのが踊りという概念なのかも知れません。
だからこそ「阿波踊り」や「ええじゃないか」に見られる踊り狂うという行為が発展したのでしょう。
人間の本質を理解していた空也という人物。
ますます魅力が深まるばかりです。
阿波踊りは存亡の危機に!
阿波踊りの特別観覧席(VIP席)が15,000円で設置されることに物議を醸したことは記憶に新しいところ。
これは、昨今の物価高騰や万年赤字体質であった徳島阿波踊り運営改善に伴った措置です。
しかし、この値段設定に対し、一部あるいはマスコミから高すぎるなどの非難を浴びました。
同じように
青森のねぶた祭りのプレミアム観覧席は今年(2024年)1,100,000円 。
完売したそうです。
では
徳島阿波踊りは、青森ねぶた祭りよりも見劣りするのか。
決して踊りの価値云々ではなく、戦略的な違いから生じる差ではないかと思われます。
つまり
VIP席にフィットしたターゲット層の共感を得れなかっただけの話です。
決してそうではないのかも知れませんが
文化や伝統を重んじ、商売を蔑ろにした結果が赤字体質にした。
一般大衆やマスコミは、そのように感じてしまったのではないでしょうか。
ちなみに赤字体質の経営者の特徴は
- 先延ばし体質
- 社員の意見を無理・無駄と決めつける
- 数字などで状況判断しない
- チャレンジしない
- 社員教育の投資をしない
だそうです。
徳島阿波踊りは文化的でもあると同時に、その都度、その時代にも適用した多様的な踊りでもあります。
阿波踊りの経営がどのような経営体質であるかは分かりません。
しかし赤字体質であり、優待席に見られる運営方法は決して良いとは言い難いです。
このまま赤字が続き阿波踊り自体が衰退していくのか。
それとも
赤字を黒字に回復させ、素晴らしい体験を経験させる運営となるのか。
これからも阿波踊りが見られる世の中であって欲しいと願うばかりです。
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これからの阿波踊りの私見
先ほど徳島阿波踊りが存亡の危機に瀕しているとお伝えしました。
少々、大袈裟な物言いですが、運営が上手くいっていないのは事実です。
これからの阿波踊りは、地域活性化とセットで考えていかなければ難しいでしょう。
上手くPRできれば、観光資源の少なくともインバウンドで大盛況という土地もあります。
徳島は何度か訪れましたが、本当に水辺が綺麗であり、眉山などの観光場所もたくさんあります。
そして徳島ラーメンなどのB級グルメなどもあります。
徳島の魅力を上手く活用しながら阿波踊りを盛り上げ、観光地として露出していく。
あるいは
日本国内ではなく広く海外に目を向けた戦略で阿波踊り自体を研ぎ澄ましていく。
あるいは
阿波踊りはなくなるが、踊りの魂というものは残り、違った形の阿波踊りが出現する。
阿波踊りは将来どうなるのでしょう。
ええじゃないかもそうであったように、踊り自体は社会課題に対して何の解決にもなりません。
しかし民衆は踊ることしか社会や自分に対する、どうしょうもない憤りや不安をぶつけるものが無かったのです。
踊りとは、元来そのようなものです。
阿波踊りが将来どの道を辿ろうとも踊り自体は色や形を変えて生き残っていくのでしょう。
個人的に強く思うのは
阿波踊りとは、文化ではなく、大衆による魂の表現なのである
ということです。
もし、今の形での阿波踊りがなくなったとしても、また違った形で蘇るのではないか。
それほど阿波踊りには、不屈さと力強さとシブトさがある踊りなのです。
ええじゃないかの進化?参加型音楽の魅力
最後に現代のええじゃないか進化系と勝手に呼んでいる参加型音楽についてお伝えします。
それは
こっちのけんとさんが歌っている
「はいよろこんで」
です。
こっちのけんとさんは、自身も鬱に悩んだ経験があり、鬱に悩む全ての人にあてたメッセージ性の高い曲です。
この方のネガティブな気持ちをマルっと包んでくれるような曲調や意味深い歌詞など。
とても素敵で心に残る曲となっております。
なぜ、自分がええじゃないかの現代版進化系と呼んでいるかというと
ええじゃないかも大衆のやるせなさを言葉や踊りで表現したものだからです。
それに「ええじゃないか」、「はいよろこんで」も
同じひらがな表記かつ心の悲痛を叫びながら、
曲調は明るい部分もよく似ています。
ちなみに「はいよろこんで」は紅白にも出場するそうです。
ショート動画でもよく踊られている曲なので、ぜひ一度見てください。
曲から入って、後から言葉に引き寄せられる。
そのような参加型音楽は実に魅力的であると感ぜずにはいられません。
「はいよろこんで」は、現在のええじゃないか進化版と敢えて言わしていただきます!
今回は「ええじゃないか」を軸に「阿波踊り」の過去・現在・未来について私見を述べました。
また「ええじゃないか」の進化系として「はいよろこんで」についてもご紹介いたしました。
踊りとは
想いを共有し、参加し、それを楽しむもの
であると思っております。
嫌なことや辛いこと、また楽しさを表現する一番の方法でもあります。
阿波踊りに関しては、今いま非常に苦しい運営状態でもあることが見て取れます。
しかし、阿波踊りのルーツを探ると自然発生的に起こったものだとするならば
未来においても自然発生的に蘇るものなのかも知れません。
今回の記事が「ええじゃないか」、「阿波踊り」、また未来の踊りについての参考になれれば幸いです。
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