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【歴史の芸能人】ホントにいたのか?安倍晴明と曽呂利新左衛門

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歴史
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歴史のエンターティナーふたり登場

陰陽師の代名詞である安倍晴明と落語の元祖と言われる曽呂利新左衛門。

後世に語り継がれるふたりですが、実在したのかも怪しいふたりです。

はたして、ふたりは存在したのでしょうか?

はたして安倍晴明は、現代のようにイケメンで呪術に長けた人物だったのでしょうか?

曽呂利新左衛門は、得意の指数関数を使って豊臣秀吉から俸禄をせしめたのでしょうか?

二人のエンターテイナーにまつわる逸話や豊富なエピソードをご紹介することで、彼らの虚実の世界に深く関わってみましょう。

その時代を賑わせた安倍晴明と曽呂利新左衛門の驚異的な才能と人気を是非ご堪能ください。

陰陽師のプロフェッショナル:安倍晴明の流儀

日本は古来より天変地異や身内に異変があると、悪霊が取り憑いた所業としてきました。

陰陽師とは、祈祷、占術、厄祓いや怨霊退治などを行なっていたプロフェッショナルです。

陰陽師は、いわゆる神官の一種のような存在で、占いを学術的に研究する研究員のような側面を持つ祈祷師といった意味合いです。

その陰陽師の存在を一躍有名にしたのは、天才・安倍晴明です。

豊富な知識と鋭い洞察力を持ちあわせた晴明は、陰陽五行や方位学・星占いといった占術だけではなく、呪術にも詳しい人物でした。

彼の神秘的な世界に触れ、陰陽師のプロフェッショナルとしての彼の姿勢に迫っていきます。

・実は40歳から転職していた安倍晴明!

安倍晴明は、921年に生まれたとされていますが、詳細は分かりません。

幼少期の詳しい資料は少なく、天才でもなかったのかと思われます。

父親の安倍益材(あべのますき)という陰陽師の家計であることから、晴明も陰陽師に憧れがあったのでしょう。

そこから、目覚しい活躍や天才的な呪術を使ったことなど一切なく、40歳から陰陽師の学校である陰陽寮で学んでいます。

今風で言えば、大学で研究に勤しんでいる大学院生・研究員といったところです。

それまでは、舎人寮の大舎人をしていたようです。

舎人寮の大舎人とは、宮中の警護や雑務をする仕事のリーダーといった感じです。

40歳で一念発起して陰陽道を学び、58歳で陰陽道の授業を受け持つことができる陰陽博士になります。

その当時の平均寿命が50歳です。

現代でも、40歳で転職して、58歳で大学の教授というキャリアとは、相当遅すぎるキャリアです。

しかも、現代と違い、大学の教授といえど薄給も薄給のキャリアで、有力なパトロンを見つけないと充分な生活が出来ない暮らしぶりです。

そこで晴明は、有力パトロンを見つけるための豊富な知識と嘘交じりの実績を武器に、70歳で陰陽寮を退職し、再び転職活動をします。

ここで安倍晴明の転機が訪れます。

当時の有力者である藤原道長や一条天皇に売り込みが成功し、怒涛の出世を果たすのです。

75歳から亡くなるまで、数多くの名誉職に就任します。

安倍晴明は、82歳という長寿で、この世を去ります

一般的に知られている安倍晴明は、彼がイメージ戦略としてパトロンを見つけるための作戦だったのではないかと思われます。

しかし、実際の安倍晴明は、亡くなるまで努力し続け、成功するために貪欲であった執念の人であったのです。

・安倍晴明の逸話

安倍晴明には、実に多くの逸話が残っています。

すこし逸話の一例をお伝えいたします。

両親はいない化生の者/母親は妖狐

両親は存在せず化け物の化身か、母親は狐らしいです。

母親が妖狐だったので、82歳まで生きられたと資料にも残っています。

師匠に連れられて、幼いときに「百鬼夜行」を目撃した

百鬼夜行とは、鬼や妖怪が路上を練り歩く行為といった意味で、師匠である賀茂 忠行(かも の ただゆき)と幼い安倍晴明が京都を歩いていると出くわしたそうです。

普通の陰陽師では、見ることができない百鬼夜行を、晴明が咄嗟に術を使い、師匠を助けたそうです。

それ以来、賀茂 忠行は、全ての術を晴明に教え込んだそうな。

・藤原道長を呪術師から救う

ある日、藤原道長が寵愛していた犬が必死に主人の外出を止めようとします。

不審に思った道長が安倍晴明に占ってもらうと、どうやらライバルである呪術師「蘆屋道満」(あしやどうまん)が、呪いをかけようとしていたことが判明します。

晴明は式神を使って、見事、蘆屋道満を撃退したのです。

・晴明のまとめ

安倍晴明の人生は虚構で彩られていますが、実在したのは間違いないです。

ありとあらゆる術式を使い、妖怪や鬼を退治する安倍晴明は、イケメンでも天才でもない、白髭が似合いそうな老人でした。

しかし、陰陽師としての知識や占い、自分を売り込む技術に長けた尊敬すべき人物でもあります。

若いころに世に出なかったといって、諦めずに一芸を極めること、どの歴史的な偉人にも言えることですが、最後は健康で長生きした人間が成功する。

そんな事を安倍晴明の人生から学べたような心持ちです。

逸話の宝庫:曽呂利と秀吉

曽呂利新左衛門と聞いて、ピンとくる方は、相当な歴史通か落語通でしょう。

とくに2代目の曽呂利新左衛門は、落語史に残る破天荒な落語家として有名です。

ここでは、初代曽呂利新左衛門のお話を少しばかりしていきます。

曽呂利新左衛門と豊臣秀吉の逸話は、一休宗純と足利義満の逸話に似ている部分がありますが、時の権力者に一泡食わすところが痛快の極みです

ここでは、逸話と伝説の多い、曽呂利新左衛門の人生に少し触れてみようと思います。

・刀がソロリで曽呂利新左衛門!

稀代の落語家・曽呂利新左衛門の誕生は、刀鍛冶の里である堺です。

曽呂利新左衛門の本名は、杉本新左衛門

刀鍛冶の里で曽呂利は、鞘師としての技術が高く、刀がソロリと鞘に納めることができる凄腕の鞘師でした

ソロリと鞘に収まることから曽呂利新左衛門という異名がついたのだそうです。

生没年は不詳で、実在したかも不明、創作との説もあります。

しかし曽呂利新左衛門に近い人物はいます。

その名も安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん)

彼は、戦国武将である金森長近の弟で、京都誓願寺の高僧です。

この安楽庵 策伝が「平林」「子ほめ」「星とり竿」「無筆の犬」などの落語の原話や小話となる「醒睡笑(せいすいしょう)」を書き残していることから落語の祖と呼ばれています。

また曽呂利新左衛門も安楽庵 策伝も一流の茶人でもあります。

そういった共通点から曽呂利新左衛門と安楽庵 策伝は同一人物ではないかとも言われています。

ちなみに安楽庵 策伝は、89歳でこの世を去っています。

・曽呂利新左衛門の逸話

曽呂利新左衛門は、とても頭の回転が早く、知識が豊富、ユーモラスな話し方で太閤豊臣秀吉のお気に入りの一人になります。

まさに口先だけで、のし上がった驚嘆すべき人間です。

この天下の口先男の逸話をご紹介いたします。

曽呂利の陰口

ある日、太閤秀吉に褒美は何が良いのか聞かれた曽呂利新左衛門は、太閤の耳を毎日嗅がして欲しい旨を伝えます。

その日から秀吉の耳を嗅ぐ曽呂利の仕草を見ていた家臣たちは、自分の事を報告しているのではないかと疑心暗鬼になります。

疑心暗鬼に陥った家臣たちは、沢山の賄賂を曽呂利に渡したそうです。

褒美よりも、よっぽど儲かる方法です。

太閤とお猿

太閤秀吉は、日頃から自分の顔がお猿に似ていることを気に病んでいました。

巷では自分がお猿に似ているとバカにしていると言うが、どう思うかと秀吉は曽呂利に質問します。

そこで曽呂利は「太閤さまがお猿に似ているのではなく、お猿が太閤さまに似ているのです」と答えたと言います。

物は言いようとは、この事ですね。

・曽呂利と秀吉の指数関数

有名な指数関数の逸話

褒美の米を100日間、1日目は米を1粒、2日目は、倍の2粒、3日目は、倍の4粒と褒美を分けて貰えるように、お願いします。

太閤秀吉は、安請け合いしますが、15日目で1キロ、25日で1トンの米が必要になる計算。

倍々ゲームの恐ろしさ、爆発的なペースで増加することを専門用語では「指数関数的増加」と呼ぶそうです。

結局、太閤秀吉は、謝る羽目になったのでした。

・曽呂利のまとめ

曽呂利新左衛門は、実在したのかどうかは少し怪しいですが、モデルとなった人物はいたようです。

しかし、数々の文献にソロリという名前が残っていることから、完全に実在を否定することはできません。

もし、曽呂利新左衛門が架空の人物だったとしても、戦国の辛い時代が終焉を迎え、やっと平和の訪れを予感させる庶民の希望の表れだったのかも知れません。

人生には笑いが必要なように、その時代には、曽呂利のようなエンターティナーが必要だったという事なのでしょう。

逸話も実話も、足りてるふたり

逸話や伝説での、ふたりは超がつくほどの天才で、スーパーヒーローです。

実際のふたりは、かたや老齢から這い上がった苦労人。

もう一方は、時代が産んだ架空の人物である可能性大の人物。

逸話や伝説の類は、尾鰭を付ける話されることも多いのが特徴です。

人々が求めてるのは、いつだって痛快で天才的なヒーロー像です。

しかしヒーローには、裏の顔もあるものです。

安倍晴明は、40歳でリクルートし成功しています。

曽呂利新左衛門は、今でも落語の元祖と言われています。

ふたりとも、逸話や伝説に負けないぐらいの人間臭いヒーローなのでは、ないでしょうか。

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