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【歴史好きおすすめ漫画2選】へうげもの侘び茶の千利休はキリシタン!?

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歴史
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漫画にも登場する千利休の過激な人生とは?

今も昔も、権力に楯突く人間には共感を覚えるもの。

この反骨精神の塊のような人物は、何も漫画やドラマだけの世界に登場するだけではありません。

戦国時代、時の権力者に楯突いたヒーローがいました。

その名も千利休。

彼は、侘び茶の大家として、今もお茶の世界、千家の始祖として知られています。

この千利休は、謎多き人物で、キリシタンであったなどとの説もあります。

また、漫画にも登場する魅力的な人物です。

ここでは、千利休が題材のオススメ漫画2選をご紹介します。

ぜひ、千利休の複雑で哲学的な世界観、波瀾万丈なる人生に足を踏み入れてください。

千利休とは何者?

千利休は、歴史の教科書に何度も目にする人物です。

お茶を大成した人物として知られていますが、織田信長豊臣秀吉という時の為政者に仕えた成功者です。

「侘び茶」というお茶の様式を確立した人物ですが、その威光は、単なる「お茶の先生」だけではなかったカリスマ性を持った人物なのです。

興味深い千利休のプロフィールと千利休にまつわる実しやかに囁かれている説などを言及していきます。

角度を変えると又新しい発見があるのが、歴史の面白いところです。

千利休とは、どのような男だったのか?

千利休の正体とは?

茶という武器を持ち、戦国時代を駆け抜けた男を少し考えていきたいと思います。

・千利休のプロフィール

千利休(せんのりきゅう)は、日本の茶道を確立し、茶の湯を深化させた茶道の大家として知られています。

彼は、茶の湯を日本文化や芸術の中で重要な位置に昇華した人物です。

1522年、千利休は京都で生まれました。

彼は若いころから茶の湯に親しむ機会に恵まれ、茶道の修行を始めました。

彼は茶道の礼儀や作法、花道、詩文に精通し、その広い教養を茶の湯に取り入れたと言われています。

その結果、茶道は芸術として昇華できたのです。

千利休の最も有名な業績は、茶室や茶碗、茶杓などの茶道具において革新的なデザインや形態を生み出したことです。

また、茶の湯においてシンプルで質素ながら、奥深い美を見出し、それを追求しました。

しかし、千利休の功績は茶道だけに留まりません。

彼は茶道を通じて社交性と礼儀を強調し、また平和と調和の精神を広める活動家といった側面もありました。

そのため、茶の湯は彼の指導のもとで、日本文化と精神における中心的な役割を果たすようになり、その当時の一大勢力ともなり得たのです。

千利休は茶の湯の普及に努力し、織田信長に見出され、豊臣秀吉や徳川家康といった当時の権力者たちにも茶の湯を学ぶ機会を提供しました。

しかし、その功績にもかかわらず、彼の生涯は悲劇的な出来事で幕を閉じました。

1591年、彼は豊臣秀吉の不興を買い、自刃させられたのです。

これには、千利休のカリスマ性が影響しているとも言われており、秀吉は、彼のカリスマ性を恐れたからとも、彼のカリスマ性に嫉妬したとも、言われています。

千利休は茶の湯に対する情熱と貢献を通じて、日本文化に影響を与えました。

時の権力者が、恐れ慄くぐらいにまで、日本文化に影響を与えたと言っても過言ではないでしょう。

今も尚、彼の精神と芸術的な遺産は、現代の茶道を支え、茶の湯の美を楽しむ多くの人々に影響を与え続けています。

・千利休キリシタン説

「千利休キリシタン説」は、一部の伝説と歴史的な背景から生まれた興味深い話であり、今なお、実しやかに囁かれている噂話です。

戦国時代、キリスト教の影響が広まり、多くの大名が洗礼を受けたという事実があります。

現に大友宗麟高山右近など、利休の高弟達がキリスト教徒であったことは確かです。

彼らと親交があり、茶の師匠でもあった千利休もキリスト教信者では、との噂が当時からありました。

千利休の生涯は茶道の発展に多大な貢献をしましたが、キリスト教信仰については、単なる噂話の類でしょう。

千利休キリシタン説は、豊臣秀吉はキリスト教への弾圧を行った同時期に、千利休に対して切腹を命じたからだとされています。

そして千利休は、切腹せずにキリスト教の教えに則り、自ら命を絶つことを拒んだとの説もあるからです。

はたして、千利休が切腹をしなかったのか、または切腹したのかどうかについては、今持って分かっていません。

キリシタン大名や茶人、僧侶たちが交流していた時代背景を考えると、千利休がキリシタンであった可能性もまるで噂話では済まされないのでしょう。

しかし、彼がキリシタンであることを示す確かな証拠はまだ見つかっていないため、この謎めいた「千利休キリシタン説」は、歴史の中のIf として語り継がれています。

・(真相)豊臣秀吉との仲違い

千利休の切腹に至る経緯は、秀吉の嫉妬や千利休に対する不当な告発が背後にあるといった複雑な事情が絡んでいます。

秀吉は、千利休に対抗心を燃やしており、千利休の地位や影響力を妬んでいました。

しかし、公的に「天下人の嫉妬」を理由に切腹を命じることはできませんでした。

そのため、石田三成が千利休に対する告発を行い、切腹の命令を正当化しようとしたとの事。

1つ目の告発は、

大徳寺山門(三門)に安置された千利休の木像が不敬であるというものでした。

秀吉はこの木像を踏むことによる不敬の罪を千利休に着せました。

しかし、実際には千利休が建立したものではなく、彼の多額の寄付によって寺が建てたものでした。

これにより、千利休は不敬の罪の対象ではあることはなく、濡れ衣です。

2つ目の告発は、

千利休が茶道具に高額な値段をつけて売り、売僧(まいす)となっていたというものでした。

しかし、千利休の品々はその美的感覚によって選ばれた市場価値が高いものでした。

これは千利休の目利きの優れた美的感覚によるものでした。

何せ、秀吉自身も、千利休が選んだ品を高値で買い取ろうとしていたのですから。

このように秀吉が千利休に切腹を命じた背後にあった真の意図は複雑で、実際には千利休に切腹してほしいわけではなかった可能性もあります。

秀吉は千利休に謝罪の言葉を述べることで許すつもりだったが、千利休は謝罪の必要がないと断った。

その結果か千利休の自害という結果となっただけなのでしょう。

▼キリシタン大名の記事▼

千利休おすすめ漫画2選

「へうげもの」 著:山田芳裕

#X(旧Twitter)を引用

・あらすじ

下剋上の戦国時代、織田信長の台頭が進む中で、古田左介(後の古田織部)が登場する物語。

左介は出世欲と物欲の間で葛藤し、次第に茶の湯に心を奪われていきます。

物欲に囚われた彼の内面の葛藤や懊悩の先に、彼にも変化が訪れます。

そして「へうげもの」である左介はある日、天下を目指す決意を固めます。

その決意のもと、彼は自分だけの茶道を追求し、独自の「へうげもの」の道を歩み始めるのです。

左介の内面の葛藤と懊悩。

そして「へうげもの」としての道を歩む彼の物語を描いています。

「千利休」 著:清原なつの

・あらすじ

茶の湯とわび茶の概念を通じて、千利休の複雑な人生と思索に焦点を当てています。

いわば千利休と茶の湯のエピソード集といった形か。

わび茶とは、日本の伝統的な茶道で、物質的な豪華さではなく、精神的な深みと美を追求することを意味します。

この漫画は、その千利休の哲学的な旅を描いており、清原なつののソフトでコミカルな筆致と、思索的な深みも相まって、独自の世界観を醸し出しています。

描き切るまでの4年半をも費やした超大作です。

織田信長と豊臣秀吉、そして千利休。

それぞれの関係性や思惑が、さもありなんと不思議と納得させる、読み手に想像力を掻き立てるマンガ本です。

まとめ:千利休の魅力

千利休は何者であったのでしょう。

簡単にまとめると

・時の権力者に愛され、卓越した審美眼を持ってお茶を芸術にまで昇華した人物

・豊臣秀吉には、愛されながら憎まれるといった感情を持たれ、冤罪から自殺に追いやられた人物

・高弟には、キリシタン大名もいた事から、キリシタンだったのではとも言われている

・千利休が登場するマンガや本も沢山ある

このように、千利休は単なる「茶の大家」といった位置だけではなく、時の権力者とも渡り合える

非常にカリスマ性と魅力溢れる人物でした。

最後は、豊臣秀吉の不興を買い、自決?に追いやられましたが、彼の功績は今持って色褪せる事もない気概のある人物なのだったです。

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