\戦国シュミレーションの金字塔/
黒田官兵衛は天才だけど
戦国時代で豊臣秀吉や徳川家康、織田信長などは誰もが知る歴史上の人物です。
その三人に次ぐ歴史上の人物といえば、黒田官兵衛の名をあげる人も多いでしょう。
黒田官兵衛は、豊臣秀吉の天才軍師として活躍した戦国武将です。
天才の家系は天才揃いなのでしょうか。
それとも
トンビが鷹を産んだのでしょうか。
天才・黒田官兵衛には、弟がいました。
黒田官兵衛の知名度に比べ、あまり知られていないのが実情です。
戦国の兄弟といえば「真田兄弟」、「真田親子」をイメージしがちです。
彼らに比べ、あまりにも目立たない存在である官兵衛の弟たち。
黒田官兵衛との関係や天才の弟という立場をどのように活用したのでしょうか。
今回は
黒田官兵衛の弟たちから感じる
天才の弟である条件とは?
について言及していこうと思います。
黒田官兵衛の弟たちも天才なのか?
天才軍師・黒田官兵衛。
豊臣秀吉を支えた竹中半兵衛と共に両兵衛などと呼ばれていました。
若い頃から天才でムダがない男でした。
例えるなら、若かりし黒田官兵衛は、やっぱり三国志の馬謖でしょう。
あまりに頭の回転が早いので当初周りからの評判はよくなかったそうです。
しかし、ある事件をキッカケで。。。
といった黒田官兵衛の若かりし頃の評判ですが天才であったのは確かです。
では黒田官兵衛の弟は、どのような運命を辿ったのでしょうか?
弟もやはり天才だったのでしょうか?
この章では黒田官兵衛の魅力と弟について言及していきます。
天才・官兵衛を通して、優秀な兄を持つ弟の条件についてお伝えできればと思います。
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天才軍師・黒田官兵衛の個人的評価
豊臣秀吉の軍師として、その能力を遺憾無く発揮した黒田官兵衛は、間違いなく軍事の天才です。
その軍略は、誰もが予想だにしなかった戦略を考えつきます。
官兵衛の代名詞といえば
「兵糧攻め」
「水攻め」
でしょう。
黒田官兵衛がいなければ、豊臣秀吉は天下人にならなかったのではと思わずにはいられない天才軍師なのです。
時に敵方にとって、非道な戦略をとる官兵衛は、非情かつ欲深い人物として描かれることも多いです。
有名な「本能寺の変」で織田信長が倒れると、君主・豊臣秀吉に天下人になるチャンスだと伝えたと言われています。
その一件で秀吉は、生涯官兵衛を警戒したとか。
次に天下人になるのは黒田官兵衛だと秀吉が言ったとか。
色々、伝聞されている人物でもあります。
実際は、どうであったかは分かりませんが、天才であったことは間違いないでしょう。
同じく天才であった竹中半兵衛や、毛利家征伐で交流ができたキレ者・小早川隆景は、官兵衛の天才性について同情しています。
天才なるが故に、後悔する部分や世人には理解できない苦悩があったのでしょう。
個人的な意見としては
- 豊臣秀吉という太陽のような存在があったからこそ、自分自身の才能が光輝く
- 世人には理解できない天才は、天才を理解する人間の元で能力を発揮するべきだ
そのように黒田官兵衛は考えていたのではないかと思っています。
晩年、黒田官兵衛に天下を獲るチャンスが訪れます。
「関ヶ原の戦い」が勃発し、黒田官兵衛は九州を守るという名目で九州のほとんどを支配下に置きます。
しかし短時間に終わった関ヶ原の戦いで、黒田官兵衛の天下統一は夢に終わったと言われています。
黒田官兵衛は、果たして天下統一、天下人になることを望んだのでしょうか。
恐らく違うような気がします。
自分の天才性を晩年でも発揮したかった。
只々、それだけの理由ではないかと思われます。
その証拠に関ヶ原の戦いの勝敗が喫した後、あっさり徳川家康に自身が勝ちとった領地を返納しています。
黒田官兵衛は、自分のことをよく知っていると同時に自分の限界までも見通していたのでしょう。
黒田官兵衛は天才であることは間違いないが、天才なるが故に苦悩と限界を感じていた1人の人間でもあったということではないでしょうか。
兄・官兵衛との関係や性格などについて
俗に黒田官兵衛は、非情かつ欲深い戦国武将として位置付けされることがあります。
しかし、彼は敬虔なクリスチャンでもあり、晩年には領民にお菓子を配るほどの好々爺(こうこうや)でもありました。
性格は温厚であり、義理人情にも熱く、いわゆる知的誠実さを感じる優しい人物です。
そんな黒田官兵衛には弟がいます。
官兵衛には同母弟、異母弟含め数多くの弟がいました。
彼らの性格は、こぞって性格が温厚で優しく、時に合戦となると勇猛な人物でした。
中には兄・官兵衛を習って敬虔なクリスチャンとなった人もいます。
ちなみに兄弟の性格は遺伝的要素よりも環境的要素が強く、能力に関しては環境的要素よりも遺伝的要素が強いそうです。
官兵衛の弟に関しては、能力よりも性格の類似性が見られますので、多分に置かれている状況などが起因されたのかもしれません。
黒田官兵衛の弟で知られているのは、黒田利高や黒田利則、黒田直之の三兄弟でしょう。
彼らは何も実直かつ有能な人物でした。
現に黒田24騎や黒田八虎にも数えられている名将です。
そして黒田官兵衛あるいは黒田家への尊敬と献身は終生変わらぬものでした。
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黒田家にみる弟の位置付けについて
新興大名であった黒田家。
黒田官兵衛という1人の天才が作りあげた黒田家。
弟の立場としては、この黒田家を盛り立て続けるしか方法がなかったのかも知れません。
あの黒田官兵衛の弟なのだから功名心がなかった訳がない。
確かに功名心や兄より優れた自分を世間に認めさしたいという願望はあったでしょう。
しかし、それをしなかった。
理由は
- 黒田官兵衛という太陽のような存在があったからこそ、自分が光輝く
- 兄の元の方が自分の才能を伸ばせる
その辺りの理由は兄・官兵衛と非常に似ています。
やはり血は争えないということなのでしょうか。
兄譲りの温厚な性格も起因しているのかも知れません。
あるいは
兄を敵視する生き方よりも、共同して黒田家を創造していく生き方が性にあったのかも知れません。
そんな黒田官兵衛の弟である黒田利高には逸話が残っています。
当主となった官兵衛の息子・黒田長政と出会えうと即座に馬から飛び降り、地面に頭を擦り付けるほどに平伏したそうです。
これは叔父である身分にも関わらず、当主として長政を崇めているといった一種のパフォーマンスでもあります。
このパフォーマンスによって、他の家臣は長政をより一層崇めるといった効果を狙っていたのでしょう。
このように黒田官兵衛の弟たちは、忠誠心を全面に出して黒田家を支える人生を選んでのでした。
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天才・黒田官兵衛の弟が持つべき条件とは?
天才を兄に持つ弟の心境は、複雑なものに違いないでしょう。
しかし兄を盛り立てることで自分が輝けるとしたら、一体どのような態度を取ることが一番良い方法なのでしょうか。
黒田官兵衛の弟は、兄譲りの優秀さと勇敢さで黒田家を盛り立てます。
そして、兄への忠誠心は、兄弟であれど裏切りの連続であった戦国の世において稀有のものでした。
その忠誠心は、終生変わらぬものでした。
官兵衛の弟たちが本来持っていた温厚な性格も、忠誠心という形で現れたのかも知れません。
かつて兄・黒田官兵衛が豊臣秀吉に抱いた忠誠心も、彼が本来持っていた性格に由来するのでしょう。
黒田家が持つ美徳というか性格が忠誠心として現れたのかも知れません。
時に天才は、自己顕示欲が強くなり、頭の回転が速く決断力に富んでいるため大きな過ちを犯してしまう場合があります。
それは、自他ともに認める天才である三国志の馬謖も大きな過ちを犯しのと似ています。
天才である兄・黒田官兵衛を側で見てきた弟たちは、天才の危うさにいち早く気づいたのかも知れません。
もし天才の兄より弟が優れた点があるとすれば
それは堅実さではないでしょうか。
堅実さこそ人生を生きる上で有効な手段である。
そんな風に思ったのかも知れません。
つまり天才・黒田官兵衛の弟が持つ条件とは
堅実さ故の実直さであり温厚さ
ではないでしょうか。
官兵衛の弟たちがみせた堅実さと温厚さ
いま自分が1番欲しい能力です。
あなたは今何が欲しいでしょうか。
この記事で何かを感じていただければ幸いです。
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