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日常に“笑い”を取り入れることで人生は豊かになる

40代から60代。
社会の舵取り役を任され、職場でも家庭でも「責任」という重荷を日々感じてはいませんか。
毎日が義務と忍耐で埋め尽くされ、知らず知らずのうちに、表情も会話も固くなってしまっている自分に気づくことがある。
そんなあなたに、江戸の才人・大田南畝が教えてくれる“笑いの知恵”を贈ります。
笑いは単なる余興ではありません。
心と心の壁を解きほぐし、人と人とをつなぐ不思議な力を持っているのです。
ここでは
南畝の“ちょい笑い”の技術を参考に
おじさん世代が人生をより軽やかに豊かに生きるためのヒントをじっくり伝えます。
“笑い”がおじさんに与える心理的効果
歳を重ね、キャリアや家族を持つ立場になるほど、人は無意識に心と体に鎧をまといがちです。
しかし、大田南畝のように日常の中で“ちょい笑い”を織り交ぜてみるだけで、驚くほど自分も周囲も変わります。
“笑い”はなぜ、こんなにも力を持つのでしょうか。
3つの要素で考えてみようと思います。
① 緊張を和らげる“脳の魔法”
笑うことで、脳内にはセロトニンやドーパミンといった「幸せホルモン」が分泌されます。
これがストレスホルモンであるコルチゾールを自然に抑え、心身の緊張を解きほぐしてくれるのです。
面接や商談、プレゼンの直前。
ピリピリした場面で“クスッ”とできる一言を投げてみれば、場の空気は自然とやわらぎます。
笑いとは、緊張を凌ぐ魔法のアイテムなのです。
② 心の距離を縮める“共感の証明”
「笑い」は共感の証明。
どんなに立場が違っても、ほんの一瞬でも一緒に笑えたなら
「この人は自分の味方だ」
と感じてもらえ、心の垣根・心の距離がグッと近いたりするものです。
同僚、上司、部下、伴侶、家族、友人、取引先。。。
すべての人間関係が、ちょっとしたユーモアで円滑になります。
笑いとは、人間関係を豊かにする潤滑油でもあるのです。
③ 信頼関係を育てる“笑いの記憶”
一緒に笑った記憶は、相手に安心感をもたらし、無意識のうちに信頼感や絆として残ります。
繰り返されるユーモアのやりとりは、
人間関係に深く深く根を下ろし、結果として自分自身も人付き合いに自信を持てるようになるのです。
「少し言ってみよう」
「ちょっと文章に添えてみよう」
ほんの少し実践を重ねてみましょう。
最初はスベることも多いでしょう。
それでも恥ずかしい経験を積み重ねてみましょう。
“ちょい笑い”を日々使いこなせるには「習慣化」しかないのですから
ところで大田南畝とは何者?
歴史好きの方であっても、「大田南畝(おおたなんぽ)」という名前を聞いてピンとくる人は、意外と少ないでしょう。
“歴史の教科書にチラっと出てくるだけの人”でしょ?
そんな風に思っているかも知れません。
しかし、彼は江戸時代後期の文化・思想・庶民感覚を体現するといった非常に興味深い人物です。
もう少しクダけた言い方をすると
「日本が誇るエンタメ系インテリ」
です。
知る人ぞ知る教養人であり、庶民の心を言葉で捉えた風刺家といった感じでしょうか。
大田南畝の基本プロフィールをザックリと。
- 本名:大田 親孝(ちかたか)
- 通称:南畝、蜀山人(しょくさんじん)、寝惚先生(ねぼせんせい)など複数のペンネームあり
- 生没年:1749年〜1823年(享年75歳)
- 職業:幕府の役人(通訳など)、そして…狂歌師、戯作者、風刺作家!
狂歌とは、和歌の形式(五・七・五・七・七)をベースにしながらも、笑い・皮肉・風刺を込めた言葉遊びの文化です。
今でいう「風刺ツイート」や「皮肉めいたコント」に近いもの
大田南畝は、この狂歌の世界でトップスターでした。
貧乏・年貢・武士の見栄・町人のずる賢さ…そんな江戸の日常を鋭く、でもクスリと笑える視点で詠んだのです。
\大田南畝を知ろう!/

南畝の狂歌に込められた“知性ある笑い”
大田南畝の狂歌には、単なる冗談や笑いではなく、深い観察と批評精神が込められています。
たとえば、次のような句があります。
世の中は 何にたとへん 山彦の こたへて響く 声にこそあれ
この句は、「世の中は、まるで山びこのようだ。自分が出した声が、そっくりそのまま返ってくる」という内容です。
表面上は軽妙な歌ですが、人の行いや言葉が、いずれ自分に返ってくるという因果応報の思想が込められています。
つまり南畝は、ユーモアという柔らかな表現を用いて、当時の社会に対するまなざしや、人間の愚かさ、あるいは機微を巧みに描いていたのです。
超訳すると
「金持ちに 貧乏人が 教えられ “お金じゃないよ” と 言われてムカつく」
思わず「あるある!」と笑ってしまうような視点が南畝の魅力であり、そこが江戸の町民には刺さったのです。
彼の作品には、単なる笑い以上の「知性ある批評性」が常に存在していたことが分かります。
教養人・官僚・風刺家──多面性を持つ人物
大田南畝は、1749年(寛延2年)に江戸で生まれました。
幕府の官僚としてキャリアを積みつつ、詩文や狂歌、戯作といった文芸活動でも活躍。
教養とユーモアを併せ持った、多才な人物です。
彼の本名は「大田親孝(ちかたか)」です。
ただ文筆活動では「南畝」「蜀山人(しょくさんじん)」「寝惚先生(ねぼせんせい)」など複数の号を使い分けました。
そのため、ひとつの肩書きで彼を語るのは難しく、むしろ“公務と表現を両立させた稀有な知識人”として理解するのが適切でしょう。
現代に例えると
昼は霞が関でスーツで一流の商社マン
夜はYouTubeで社会風刺コント配信者(粗悪なものでなく)
という感じでしょうか。
彼のユーモアや観察眼は、町民だけでなく、知識人や役人仲間にも「面白い!」と高く評価されていました。
余白ある笑いを大人の知性として学びたい!

私たちが大田南畝に惹かれる理由
それは“笑いに教養がある”ことです。
ただの批判や風刺だけではない。
生きにくさや時代のズレ、人間関係のあれこれを、クスリと笑いながら、でもしっかりと見つめている。
それって、おじさんにこそ刺さる笑いなのではないでしょうか。
若いころのようなストレートな情熱や主張ではなく、少し引いた位置から社会や人間を見つめ、ユーモアをもって受け止める。
その余裕や深さを、南畝は教えてくれるのです。
心のゆとりがないと、笑いも出てきません。
大田南畝の狂歌を読むと、「あぁ、笑うってこういうことか」と肩の力が抜ける。
彼の作品に触れることは、言葉の使い方、視点の持ち方、そして人間の弱さに対する寛容さを学ぶことでもあります。
だからこそ、忙しい現代を生きる私たちに、彼の言葉がじんわり効いてくるのです。
まさに、「おじさんだからこそ味わえる文化」と言えるでしょう。
現代にも刺さる、江戸の笑う知性──それが大田南畝
\江戸のユーモアとは!/

大田南畝とは
・狂歌という“江戸のツイート”で人々を笑わせたエンタメ知識人
・公務員と風刺詩人を両立した、超マルチな文化人
・教養とユーモアを武器に「時代を見つめる目」を忘れなかった大人の知性
現代においても
そう多くはないような素晴らしい偉人であることがお分かりいただけましたでしょうか。
大田南畝とは、ただの昔の人ではありません。
彼の言葉は、今の日本、いや、あなたの今日の悩みにだって寄り添ってくれるほどの力強さを持っています。
「笑いは、視点だ。」
そんなメッセージを、南畝は200年前から私たちに届けてくれています。
今日からあなたも、ちょっとだけ“大田南畝の視点”で世の中を見てみませんか?
ほんの少しだけ、世の中や人生が明るく見えるかも知れません。
“ちょい笑い”習慣で人生を快活に!
40代・50代・60代。
世のおじさんたちは、仕事でも家庭でも重要な役割を担う期間のはずです。
だからこそ
「頑張る」のではなく
“笑い”という心の柔軟性を。
家族や関わる人との人間関係をなめらかにし、自分自身の人生を豊かにしましょう。
南畝が体現したように、ユーモアは決して「才能」や「能力」だけではありません。
ただの「日々の習慣」として誰でも身につけることができます。
さっそく、自分なりの“ちょい笑いフレーズ”を一つ、どこかに書き出してみてください。
そして気心知れた相手との会話や、今日のメールに軽く添えてみる。
それだけであなたの「人付き合い」はきっと前より軽く、楽しく変わっていくはずです。
- 笑いは単なる娯楽ではなく、緊張緩和・距離縮小・信頼育成という3つの心理的作用をもたらします。
- 職場・家庭のさまざまな場面で“入りやすい”ちょい笑いフレーズを用意しておくと、人間関係に“穏やかな変化”が起きます。
- 今日から始める「笑いの種メモ」「一日一笑ルール」「笑い共有習慣」などをルーティンにしておくと、やがて「笑いで人を動かせるあなた」に生まれ変わるかも。
“笑い”の習慣が根付くとき、あなたの周囲には自然な笑顔と健やかな関係が広がります。
人生に
そしてあなたの日常に、「小さなユーモア」を。
今がその一歩を踏み出すときです。