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人間の本性は、怒り方で垣間見える!
人間の本性は怒り方で現れます。
怒鳴る人間は、自分の意見を押し通したいという想いの強い人で、交渉としては最低の行為です。
支配的で、威圧的で、そして臆病な人間です。
自分の未熟さを省みて、反省することがないのかとよく思います。
そのような輩への対象法は、怒鳴り声よりも大きな声で制圧し、平静なフリをする事です。
怒鳴られた時は、嫌な気分になり、後々引きづります。
怒鳴っている時は、こちらは違う事や楽しい事、後々、笑い話になるように台本を作っている空想をして、聞き流すのも良い方法でしょう。
結局、引きづる必要がないって事です。
大事な事は、
どのような理由であろうと、怒鳴る行為は、非常に稚拙で最低な行為である。
これを理解していれば、怒鳴る相手が悪いし、こちらが気にする必要がないって事です。
至らなかった行為や仕事は、反省して改善に努めますが、それだけで大丈夫です。
歴史的にも、癇癪持ちで、すぐ怒る人間はたくさんいました。
その一人が白洲次郎。
白洲次郎は、その怒鳴りで、日本を救った人間です。
怒鳴りの行為自体は、褒められた行為ではないですが、白洲次郎の怒鳴りは、それとは少し趣が違います。
日本人としての矜持を常に持ち、GHQとも互角に度りあった白洲次郎は、どのように日本を救ったのでしょうか。
「今に見ていろ」白洲次郎の怒り理由
・白洲次郎とは何者?
白洲次郎は、1902年芦屋の実業家の息子として生まれます。
18歳の時にイギリスのケンブリッジ大学に入学、そのままイギリスにいるつもりであったが、父の事業が倒産し、日本に戻ると政治記者として活躍します。
もともと優秀な人間で、政治記者の傍ら貿易会社などの取締役も務め、かなり多忙な日々を過ごします。
その後、妻との縁によって、政治の世界に入り、首相の参謀役として活躍します。
当時では珍しい英語力やイギリス文化に馴染んでいることなどで、かなり重宝されたようです。
1939年に第二次世界大戦が勃発すると、農業を営むようになります。
この理由は、終戦後は食糧難に陥るだろうという読みとイギリス文化には「カントリージェントルマン」という考えがあり、その考えに沿った農業の営みからです。
カントリージェントルマンとは、田舎を守る紳士こそが本物の紳士であるというイギリス風の考えのことです。
そして終戦後、アメリカのGHQによる日本の統治になると、新設の部署の参与になり、GHQとの交渉役を買ってでるのでした。
・怒れる白洲が未来に夢見たもの
白洲次郎は、特に日本国憲法の改正案に関して、GHQの意向とは真っ向から対立します。
また小笠原諸島や沖縄の返還を求めるなど、GHQに屈しない毅然とした態度で挑みます。
そんな中、1950年ごろ朝鮮戦争が勃発します。
事態を重くみたGHQは、日本の軍事力をあてにし、軍事力を増強しようとします。
これに怒った白洲次郎は
「憲法で軍事を放棄しろと言っておいて、軍事力を強化せよとは何事かっ」と一喝する場面もあったそうです。
白洲次郎は、日本人が日本人であるためには、矜持が大事であること。
長年のイギリス生活から強大な権力におもねるのではなく、「今に見ていろ!」という精神で物事に立ち向かうことが人生には重要であるという想いを強くしたのでは、ないでしょうか。
今の独立した日本国に進歩したのは、間違いなく白洲次郎の貢献があったのです。
多趣味な白洲次郎と人物評
・周囲の白洲評
周囲の白洲評は、その性情からか、あまり評判が良い男ではなく、生前は、かなり嫌われていたようです。
吉田茂首相同様、死後に評価が上がり、その性情でさえ愛すべき人間という評価に変わりました。
特に、その当時の日本人は、英語に苦手意識があり、英語を流暢に話す人間を否定する傾向にもあったそうです。
英語を流暢に話す白洲は、人を見下しているように見えたのかも知れません。
エリート意識は、あったでしょうから一概に間違っているとは思えませんが。
とにかく白洲の人物評は、傲慢であり、GHQの権威にも堂々と自分の意見を述べる人間。
推して知るべしの日本人とは、かけ離れた白洲に、違和感を感じたのは間違いないでしょう。
・多趣味なダンディー白洲次郎
白洲次郎は、特に多趣味で知られています。
これは長年のイギリス留学から学んだ貴族文化に慣れ親しんだこと、家系が武家であることから武士としての嗜みを重んじたことに起因します。
一例を挙げると
・ファッション
・大工
・田舎暮らし
・自動車
・ゴルフやスキーなどのスポーツ
などが挙げられます。
海外の影響を強く受けている白洲は、かなり先進的な趣向が強かったように思います。
まとめ:スマートで品のある怒り方を目指す
人間の本性は怒り方で現れます。
特に怒鳴る行為は、自分の意見を通したい、屈服して、制圧したいという想いが強い怒り方であるのは、冒頭で述べました。
周囲から見ると、とても醜悪な行為であり、品のない人間のように映ります。
怒鳴る行為は、自分の我儘を通すことで、他人を顧みない行為でもあります。
白洲次郎は、怒鳴ることで、自分の意見を通したというよりも、日本人として怒鳴れる民族であり、喧嘩も辞さない民族であることを示したのです。
怒りを内に溜め、怒鳴ることを恥に感じる日本人。
日本人の美徳であると同時に、ともすれば、つけあがらせる事もあります。
怒鳴る行為は、とても醜いですが、つけあがらせない行為として、スマートな怒り方を考える必要があるのかも知れません。
白洲次郎は、何人であろうとルールには厳しく対処しましたが、普段は穏やかな紳士であったようです。
そして権威に対してのみ怒りを表した人間でもあります。
自分よりも権威の下に対して、怒鳴る人間は、世の中でたくさんいます。
どうせ怒鳴るなら、白洲次郎のように、自分よりも権威が上に対して憤る気概を持ちたいものです。