戦うヒロインは虚構の世界だけか?
戦場の世界で軍略指揮を任され、知略のかぎりを尽くす軍師。
アニメや映画あるいはゲームの世界では、戦場にて女性軍師が活躍するシーンが目立ちます。
はたして女軍師は実在したのでしょうか。
それとも戦場の女性軍師は、アニメや映画あるいはゲームだけの虚構なのでしょうか。
現代でも、戦う女性の姿は、数多く見られます。
そして、戦場のヒロインは、虚構の世界だけに存在した訳ではなく、数多く存在しました。
例えば、クレオパトラやゼノビア、ジャンヌ・ダルクなどは、戦うヒロインとして活躍しました。
しかし、軍師となると、少し違うように感じます。
軍師とは、戦局を理解し、作戦立案を指揮する人を指す言葉です。
そういった意味で、選局を理解し、軍にも従軍し、常に徳川家康の相談役であった「阿茶局(あちゃのつぼね)」が女性軍師という言葉が似合います。
外交面・政治面で活躍し、大御所となった家康の相談役として付き従った唯一の側室。
徳川家康の厳命により、家康死後も徳川家の政治力・精神的支柱として剃髪を許されなかった唯一の女性。
阿茶局の生涯を振り返りながら、現代の軍師・秘書の仕事についても言及していこうと思います。
徳川家康の名参謀:阿茶局
徳川家康の正室といえば、築山殿と朝日姫の2人です。
側室はというと、20人を超えてたと言われています。
その側室の中で最も信頼し、愛されたのが「阿茶局」です。
阿茶局は、どのように誕生したのでしょうか。
彼女の軌跡を振り返りたいと思います。
・阿茶局とは
阿茶局は1555年(天文24年)、飯田直政(いいだなおまさ)の娘として生まれます。
飯田直政とは、元々、武田家の家臣でしたが、今川家と武田家との和睦に伴い、今川家に転籍した人物です。
この縁により、阿茶局は今川家の家臣であった神尾忠重(かみをただしげ)と結婚しました。
しかし、程なくして神尾忠重が亡くなると、未亡人となり、路頭に迷います。
その頃に、徳川家康の目に留まり、側室として徳川家に入ります。
当時の家康は、正妻の築山殿と息子・信康を自らの手で処断したばかりの失意のどん底にいた頃です。
何かしら、家康は、阿茶局に感じることがあったのでしょう。
そして、最初から才覚があったのか、西郷の局が亡くなると、秀忠の養育係に任命されます。
阿茶局は、武芸や馬術に秀でており、尚且つ政治感覚にも優れていたことによる任命ではなかったかと思われます。
・阿茶局の見せどころ
数多の戦場にも家康に同行を許された、稀有な存在である阿茶局ですが、彼女の真骨頂は、やはり卓越した政治力でしょう。
一説には、小早川秀秋が関ヶ原の戦いにおいて、家康側に寝返ったのは、阿茶局が交渉役を担当したからであるとも言います。
そして、阿茶局の最大の見せどころと言えば、大阪の陣の発端となった「方広寺鐘名事件(ほうこうじしょうめいじけん)」と「大坂冬の陣での講和交渉」。
これらの事件で、徳川家康側の外交担当であったのが、阿茶局なのです。
方広寺鐘名事件とは、徳川家康が「国家安康」の4文字に難癖をつけた有名な事件です。
弁明のために豊臣方の片桐且元などと対面し、交渉したのが彼女です。
また阿茶局は、大阪冬の陣後の和平交渉を担当しました。
この和平交渉の成功があったからこそ、天下の名城・大阪城の堀を埋めることが出来たのです。
徳川家康のブレーンには、本多正信という盟友がいますが、阿茶局も正信に負けず劣らず有能なブレーンだったのです。
しかも、女性ながら小牧・長久手の戦いに参戦するなどの武人としての側面も併せ持った人物です。
徳川家康は、阿茶局の才能を愛し、自分が死んだ後も剃髪を許さず、息子・秀忠の補佐をするように遺言に書き残したのです。
まさに徳川家の精神的支柱と言ってよい阿茶局は、徳川秀忠が亡くなるとようやく剃髪を許され、83歳という長寿で、この世を全うしたのでした。
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現代の軍師:秘書という仕事
戦国時代の軍師は、合戦においては戦略・戦術を練り、遂行するといった役割のほかに、トップである大名などの相談役や国の政治をおこうといった内政の役割も担っていることが多いです。
現代では、そこまでの権限のある職種は皆無ですが、比較的、秘書という職種が近しい仕事ではないでしょうか。
秘書とは、簡単に言うと、企業のトップや政治家などのサポートをおこなう仕事です。
スケジュール管理や調整、社内外の人との関係構築や交渉、会合や商談のセッティングなど、業務は多岐に渡ります。
また、通訳・翻訳、会議資料の作成なども業務の範囲に入っており、その会社の事を一番知っているのが秘書と言っても過言ではないでしょう。
未経験でも就職・転職可能ですが、以下の点を経験していると有利になります。
・営業・販売などの対人スキル
・英語などの語学力
・オフィス系ソフトのPCスキル
・文章作成などのライティングスキル
その他に、秘書検定やTOEICなどの資格を有していると就職・転職にも有利です。
また、一般事務と秘書を合わせて募集している場合や専属ドライバーと秘書を合わせて募集している場合もありますので、一般事務や企業受付、ドライバーなどの経験があると比較的、採用されやすい募集案件もあります。
業務が多岐に渡り、求められることも多く、難しいと感じる仕事ですが、企業のトップの側にいることで人生経験が豊かになることや経営センスやビジネスに精通できる仕事でもあります。
もしかしたら阿茶局のように、その企業になくてはならない精神的支柱となり、企業のご意見番的な位置になるかも知れません。
徳川家に生涯尽くした「サポート」という生き方
阿茶局は、徳川家康の最も信頼し、愛情を注いだ側室です。
その枠に留まらないマルチな活躍をみせた彼女は、一生涯、徳川家をサポートする運命となりました。
徳川秀忠が亡くなり、最後は徳川三代将軍・徳川家光の手厚い保護の下、優雅な日常を送ったそうです。
徳川家康にとって、阿茶局とは、どのような存在であったのでしょうか。
築山殿を亡くしたばかりの孤独な家康を癒すかのように、突然現れた阿茶局は、よき相談相手であり、感覚が似ている話相手であったのでしょう。
まさに家康にとっては、若菜のように春の初めに芽生えた、初々しくも心を掴んで離さない存在であり、自分の分身のような存在であったのでは、ないでしょうか。