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【学び直しの日本史】江戸の三大改革と令和の働き方改革について

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歴史
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政治に改革はつきもの

政治に改革はつきものです。

しかし改革とは、世の中を良くするための行為でなければならないのですが、その体制を維持するために犠牲を強いるといった意味合いが強くなっているのも事実です。

江戸時代は、江戸幕府を維持するための改革を何度かなされました。

有名な改革といえば、享保・寛政・天保の三大改革

それに加えて、正徳の治と田沼政治の流れを把握しておくと、江戸時代の改革が覚えやすくなります。

はたして、この改革は、江戸幕府存続に影響を与えたのでしょうか。

さらに、令和の働き方改革を説明することで、改革という本質に愚見を述べようと思います。

三大改革は、順番と主要人物、改革項目や成果などを覚えることで、日本史の試験にも役立ちます。

なかなか、流れを掴みにくい江戸時代の改革を把握するために役立たせてください。

江戸の三大改革とその他の改革

江戸時代の経済は、どのような流れだったのでしょう。

三大改革に至るには、その背景から理解する必要があります。

ここでは、三大改革とその他の改革の詳しい内容をご紹介いたします。

・正徳の治(1709-1716)

正徳の治に至る背景としては、5代将軍である徳川綱吉の治世を知る必要があります。

徳川綱吉は、生類憐れみの令という悪法を制定した人物として知られています。

また、貨幣を増産するために、低品位貨幣を大量発行したことでも有名です。

この低品位貨幣を増産したことで、さまざまなモノの値段が上昇し続けるというインフレをおこすのです。

このインフレにより、経済に歪みを生じた世の中を是正するべく、当時随一の知識人であった「青鬼」こと新井白石が経済の立て直しをするのが「正徳の治」です。

彼は朱子学を基本とした文治国家を理想とし、極めて融通のきかない理想主義者で有名です。

国は、こうあるべき。

物事は、こうあるべき。

べきが先行する思想家よりの政策も融通が効かない経済政策でした。

正徳の治の主な経済政策は

・朝鮮通信使待遇の簡素化

→幕府の権威づけによる、朝鮮通信使への高待遇を廃止しました。

・正徳金銀の鋳造

→以前の低品質貨幣を廃止し、高品質な貨幣を作り、インフレ脱却を狙いました。

・正徳新令(長崎新令)の発令

1715年、発令した新法ですが、海外への金銀流出を禁止・防止した法律です。

特筆すべき点は、インフレ抑制のためにおこなわれた貨幣改変です。

性急で突然すぎた貨幣改変のために急激なデフレに陥いるという結末になるのです。

デフレとは、貨幣の価値があがるといったことで、これにより物が売れない状態になり、失業率があがるといった不景気・不況になります。

正徳の治の成果は、余計に世の中を混乱に陥れた状態に陥れたと言っても良いでしょう。

・享保の改革(1716-1745)

八代将軍・徳川吉宗の政治改革です。

これまでの政治改革は、側用人や老中など、将軍の補佐である役職が主体となって取り行っていましたが、吉宗は率先して政治改革を行った将軍です。

まさに、周囲の配下から見ると、暴れん坊将軍だったのでしょう。

将軍・吉宗の享保の改革は

・上米の制 

→各藩に対して一万石につき100石の割合で幕府に献上させるといった法律です。

・倹約令

→華美な衣食住は慎むよう倹約を強制させる法律で、吉宗自身も大奥の縮小に取り組んでいます。

・目安箱の設置

・年貢率を上げる

→今まで四公六民だった年貢率を五公五民にする

・足高の制

能力のある人物は、身分に囚われず役職につけ、石高を上げるが、その人物に紐づく石高とした

徳川吉宗は、特に有名で人気のある将軍ですが、吉宗の享保の改革は、重税につぐ重税政策でした。

この改革により、幕府は一時回復するも、庶民の不満が高まり一揆の回数は、ダントツで多かった時代でした。

また、時代の流れは、貨幣主体の時代に突入するも米の経済にこだわったことから「米将軍」と呼ばれる将軍でもありました。

・田沼意次の政治改革(1767-1786)

徳川吉宗は今でも人気のある人物ですが、田沼意次は今だに不人気な人物です。

その理由は、株仲間から賄賂をもらい、私腹を肥やした人物だからです。

しかし、田沼意次が目指した政治改革は、先の改革とも、後の改革とも一線を画す先進的な政治改革だったのです。

彼が目指したのは、今までの年貢に頼った税収ではない新しい経済の仕組みを作ろうとしました

田沼時代の政治改革を挙げると

・株仲間の奨励

→商人や手工業者の同業組合である株仲間の特権や独占を認め、その代わりに税金を納めさせる

・銅の専売制

→銅の生産などを幕府の専売制にし利益を得ようとしました。

・海外との貿易を活発化

新井白石は金銀の輸出を嫌い、海外との貿易を制限しました。

そこで田沼意次は、銅と俵物(海産物)の貿易をはかりました。

銅の専売制も海外との貿易を睨んでの事だったのです。

今までにない方法で幕府の立て直しを図った田沼意次ですが、一部の商人だけが利益を得る構図となり、貧富の差が激しくなる時代となりました。

また株仲間からの賄賂が横行するといった時代でもあり、新井白石が目指した世の中とは真逆の世の中という結果となりました。

この賄賂政治と東北の寒冷や浅間山の大噴火による自然災害の影響により、田沼意次はとうとう罷免されるのです。

▼江戸の将軍・要人を知れる漫画▼

・寛政の改革(1787-1793)

田沼意次に代わり、老中となった松平定信は、正反対の改革を断行します。

松平定信の寛政の改革は

・質素倹約の徹底

・帰農令

・囲米(かこいまい)

→大名たちに対し、無駄遣いと減らして、米を備蓄するように指示します。

・寛政異学の禁止令

→朱子学以外の学問を禁止する法令

などの徹底した禁止令と締め付けを強化した改革を行い、抑圧された庶民から不評を買います。

・天保の改革(1841-1843)

水野忠邦が行った、わずか2年間という短期間の政治改革。

この改革の背景には、その当時の出来事が関係しています。

1838年、大塩平八郎の乱

1840年〜1842年、アヘン戦争(中国・清とイギリスの紛争)

この世界・日本の出来事に危機感を覚えた幕府や水野忠邦は

・株仲間の解散

・外国船打払令

・金融引き締め

・物価引き下げ令

・倹約令のさらなる取り締まり

この天保の改革は、崩壊寸前である幕府には、焼き石に水のような改革であり、結果として幕府への不信感を募らせることになりました。

度重なる改革の失敗に対し、愛想をつかした各藩は、独自の財政改革を軌道に乗せ、幕府に頼らない経営が成功しつつありました。

この頃から各藩の討幕への機運が高まりつつあったと言っても過言ではないでしょう。

・まとめ

江戸時代の改革は、流れと人名や出来事などが複雑で覚えにくい部分ですが、短期記憶では語呂合わせが有効な手段でしょう。

また、流れを理解し、背景などを誰かに話すと、長期記憶として残りやすい部分でもあります。

江戸時代の改革一覧を表にまとめておきましたので、覚える時の役立たせてください。

年代改革名主要人物改革の一例
1709-1716正徳の治新井白石・朝鮮通信使の簡素化
・正徳金銀
・正徳新令(長崎新令)
1716-1745享保の改革徳川吉宗・上米の制
・倹約令
・目安箱
・足高の制
1767-1786田沼時代田沼意次・株仲間
・銅の専売制
・海外貿易活発化
1787-1793寛政の改革松平定信・倹約令
・帰農令
・囲米
・寛政異学の禁
1841-1843天保の改革水野忠邦・株仲間の解散
・外国船打払令
・金融引き締め
・物価引き下げ令

▼楽しく語呂合わせするには▼

▼学び直しシリーズは▼

働き方改革のおさらい

・働き方改革とは

最近の改革で、有名な改革といえば「働き方改革」です。

ここでは、働き方改革とは、本来どう言った趣旨で行われた改革であったのかをおさらいします。

働き方改革とは

・長時間労働の是正

・非正規雇用労働者の処遇改善

・多様な働き方の実現

などの労働制度を抜本的に改善しようとする改革案でした。

この働き方改革のメリット・デメリットでいうと以下になります。

・働き方改革のメリット・デメリット

働き方改革のメリット

・社員にとって働きやすい魅力的な環境を整えることで、企業の社会的評価を得れること

・子育てや介護との両立

・ライフスタイルやライフワークバランスを考えた就職

などが挙げられます。

一方、デミリットは

・残業対象にならない管理職の過剰な業務負担

・人件費が高騰するので、賃金を安く上げようとする中小企業が増える

・見込み残業などで給料のカサ増しの条件提示が増える

重税と社会保険制度の不整備により、生活が豊かにならない

現時点での、働き方改革は、税金と社会保険などの整備不足、一部の劣悪な中小企業による奴隷のような給料条件により、成果が上がっているとは言えないのが実情です。

働き方改革は、一部の企業のみが遵守し、劣悪な労働環境や国の不完全な保障、少子高齢化による労働力不足というデメリットが目立つ改革です。

江戸幕府の度重なる改革の失敗と同じような路線を進んでいるように感じてしまいます。

・働き方改革の成果とは

働き方改革の現時点の成果としては、芳しい成果を得られているとは言い難い改革です。

課題としては

重税や社会保障の整備の他に

成長意欲が高く、能力を兼ね備えた人材を如何に柔軟で多様な働き方を成就させるか。

または、自分らしい働き方ができる社会を創出できるかがキーポイントとなります。

江戸時代の改革失敗は、幕府の存続や継続に主体におき、貨幣社会という側面を顧みず、米主体の流通や年貢を重視したことに原因があります。

働き方改革は、政府のためではなく、国民による国民のための改革という根本原理を理解して推進しなければ、失敗に終わることでしょう。

改革とは誰のためにあるのか?

江戸時代の改革は、背景や流れを理解しなければ、覚えることが難しいパーツです。

江戸末期の黒船来航により、討幕に進み、江戸幕府は滅亡するわけですが、黒船来航以前から崩壊に進んでいたのです。

江戸末期、幕府要人は、関税という仕組みを知らず、金銀交換比率の世界基準を知らず、

強烈なインフレに陥りました。

しかし、すでの将軍や要人による、無謀な改革や重税、低品質な貨幣によるインフレにより庶民の不満や不信は、頂点に達していたのです。

庶民が、新しい時代の到来を熱望したいたからこそ、討幕運動が成就したのでしょう。

令和の働き方改革の真価は、まずは庶民の不安や不信を取り除くことから始めてこそ、ではないのでしょうか。

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