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悩み多き夏目漱石を救ったのは「ピアノ」
夏目漱石は、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」など数多くの作品を残した明治の文豪です。
その作品は、現代でも人気があり、まさに小説界の帝王を言っても過言ではないでしょう。
漱石の作品は、人間のエゴと独立心、尊厳などの内面を深く掘り下げた人物像が巧みであり、現代でも色褪せることがない不朽の名作揃いです。
しかし、夏目漱石個人は、非常に繊細な人物であり、その高い感受性から、たびたび神経症を患いました。
この神経症に悩んでいた漱石は趣味に興じることで、克服しようとしました。
その趣味の一つが「ピアノ」です。
彼はクラシック音楽に興味を示し、度々、クラシックコンサートに行ったことを知人に楽しそうに語っていたそうです。
その夏目漱石がピアノに興味を示したキッカケの一つとなったのがケーベルという人物です。
漱石は随筆集「ケーベル先生」を書くほど、尊敬して止まないケーベルという人物は、どのような人物か。
また、幼少期に習っていないと弾けないといったイメージのピアノですが、やる気次第でピアノは、いくつになっても楽しめる楽器なのです。
ここでは、オススメのピアノレッスンをご紹介いたします。
幼いころから不遇を感じ、イギリス留学時代では、食べることもままならない貧困を経験をした夏目漱石。
不遇と自身の神経症に悩まされた夏目漱石の拠り所は、自身のペンネームにあらわれています。
この遅咲きの作家の複雑な心模様について、肉薄していこうと思います。
尊敬されるケーベル先生
ケーベル先生は、東京帝国大学で教鞭をとった人物です。
尊敬の意味を込めて「ケーベル先生」。
夏目漱石の随筆「ケーベル先生」は、生徒であった漱石と友達がケーベル宅に訪れた際の、超然とした先生の言葉や佇まいを、漱石独自のユニークな視点も持ちながら綴った作品です。
▼「ケーベル先生」-夏目漱石- ▼
この作品に登場するケーベル先生とは、何者であったのかを簡単に説明します。
・ケーベル先生とは
ケーベル先生の名前は、ラファエル・フォン・ケーベル。
ロシア生まれのドイツ系ロシア人であるケーベルは、世界三大音楽院の一つモスクワ音楽院を卒業したエリートです。
しかし、彼の内気な性格が影響してか演奏家の道を断念します。
それからドイツのイェーナ大学で博物学を学び、のちに哲学に転じます。
博士号と取ってからは、ベルリン大学やミュンヘン大学で音楽史や音楽美学の講義で教鞭をとります。
友人の勧めもあり日本に渡ったのが明治26年ごろのことです。
ケーベルは、東京帝国大学や東京藝術大学で教鞭をとり、受け持った講義も哲学史・西洋古典学・美術史・ピアノ・音楽史と多岐に渡ります。
教え子は、夏目漱石を始め、武者小路実篤、志賀直哉など、錚々(そうそう)たるメンバーです。
特に有名な教え子としては、「荒城の月」などで知られる瀧廉太郎ではないでしょうか。
ケーベルは、瀧廉太郎のピアノ演奏に深い影響を与えた人物としても知られています。
第一次世界大戦が勃発し、帰国が叶わなかったケーベル先生は、日本で生涯を閉じることになりました。
享年75歳。
彼の言葉を借りるなら「さようならごきげんよう」の人生だったのではないでしょうか。
▼「ケーベル先生の告別」-夏目漱石- ▼
・ロマンティスト夏目漱石の感受性
夏目漱石の逸話に「月が綺麗ですね」を「I Love You」と訳したというものがあります。
本当なのか分かりませんが、中学で英語教師をしていた漱石が、教え子の「I Love You」の訳し方を、そのように指導したというもの。
日本人らしい逸話として、映画などでも引用される逸話ですが、本当だとすると、漱石は、かなりロマンティストであった人物だったのでしょう。
現代の東京大学に入学し、イギリス留学もしている漱石ですが、神経衰弱に陥り、長年苦しめられた人物としても知られています。
神経衰弱の治療の一環として始めたのが、執筆活動です。
この執筆活動が、感受性の鋭い漱石には、効果があったのでしょう、生涯のライフワークとして執筆業に勤しみます。
38歳で「我輩は猫である」を執筆し、40歳から本格的に作家として活動します。
作家活動は10年ほどですが、数々の名作を残した文豪として知られています。
また夏目漱石は、数々の功績を残しています。
代表的な功績として
・印税システムを構築した初めての作家
・漱石の教え子には、芥川龍之介や寺田寅彦などの文学界を牽引した傑物が多い
・庶民に本という新しい娯楽を提供した
作家という地位を一段上げた夏目漱石は、夢を追い求め、現実にした素敵なロマンティストではないでしょうか。
・夏目漱石の趣味でストレス発散
神経症に長年悩まされいた夏目漱石のストレス発散方法は、たくさんの趣味です。
本業である執筆活動も神経症緩和の一環から始めましたが、それ以外にもサイクリング・音楽や絵画鑑賞・寄席通い・相撲観戦など多趣味でした。
特に音楽鑑賞の熱量がすごく、たびたびクラシックコンサートに出かけるほどでした。
これは、尊敬してやまないケーベル先生に影響を受けて、ピアノなどに興味を持ったからかも知れません。
特に音楽への造詣が深く、日本や西洋の伝統的な曲を作曲していたようです。
夏目漱石は、多くの趣味を持つことで、人生の楽しみを発見したのかも知れません。
諦めるのはまだ早い!何歳でも始められるピアノレッスン
日本国内で60歳以上の方に「自宅にピアノはありますか?」と質問すると、「はい」と答える方がとても多いそうです。
これは、60歳以上の方の子供が、ピアノを習うことが多かったことによります。
当時は、習い事ブームであり、音楽教室に通わせることも家にピアノを所持することも多かった時代です。
でも、子供が成長すると、無用の長物になってしまうピアノ。
それでは、もったいないので一度ピアノに挑戦してみてはいかがでしょうか。
実際、ピアノは脳活にも適した音楽であることは、証明されています。
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また夏目漱石は、寺田寅彦の影響もあり、ヴァイオリンにも並々ならぬ興味を示していました。
「我輩は猫である」や「三四郎」などにも、頻繁にヴァイオリンのシーンが登場します。
ヴァイオリンの名手といえば、悪魔と呼ばれたニコロ・パガニーニ。
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「漱石枕流」:負け惜しみこそ生きる活力である
夏目漱石の活動期間は、わずか10年ほどの短命な作家です。
それまでの人生は、決して良好ではなく、むしろ苦難の連続でした。
よく夏目漱石の性格は「負けず嫌い」「短気」「神経質」と言われます。
その性格をよく表しているのが、この漱石というペンネームです。
この漱石というペンネームは、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」から取っています。
漱石枕流とは、自分の失敗を認めず、言い訳をして非を認めないこと。
転じて、負けず嫌いや負け惜しみが強いたとえとして使われます。
繰り返しますが、夏目漱石は、決して恵まれた環境で育った人物ではありません。
鋭敏すぎる感受性から神経症を患い、本格的に作家としてデビューしたのも40歳です。
負けが多かった人生である漱石に湧き上がる気持ち。
それが「漱石枕流」だったのでしょう。
この負け惜しみの性格が、不朽の名作を綴り、ピアノなどの趣味にも没頭できる集中力を養えたのではないのでしょうか。