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【パリピ孔明】天才諸葛亮孔明の三国志計略と実はヨメがすごかった説

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あの諸葛亮孔明が現代に甦る。

アニメ・ドラマで人気の「パリピ孔明」をご存知でしょうか。

これは現代に甦った諸葛亮孔明が主人公・月見英子の歌の才能に惚れ込み、彼女をスターにしていくというサクセスストーリーです。

しかも三国志ファンにとって、お馴染みの計略を随所に散りばめられているという心憎い演出です。

また三国志通である「BBラウンジ」のオーナー小林やKABE太人など魅力的な人物が脇を固めています。

天才軍師・諸葛亮孔明は、果たして月見英子をスターにできるのか。

興味は尽きませんが、天才軍師・諸葛亮孔明は、どのような人物だったのか。

三国志の計略とは、どのような計略か。

この記事を読んで「パリピ孔明」を数倍楽しく見ていきましょう。

諸葛亮孔明と聞けば、「天才」「劉備を王にした男」「泣いて馬謖を斬る」などのワードが想起される人物なのではないでしょうか。

天気をも操り、赤壁の戦いでは曹操を大敗北に追いやった男。

司馬懿や周瑜も、その才能に嫉妬した男。

伝説に彩られた諸葛亮孔明とは、どのような男なのかを少しお伝えしましょう。

諸葛孔明は181年生まれです。

181年ごろの日本で言うと「魏志倭人伝」では、邪馬台国の卑弥呼が王となっていたとされる時期です。

幼少期より天才の名を欲しいままにしていた孔明ですが、彼を認める人は少なく友人である徐庶だけは、非凡な才能を認めていました。

「臥竜鳳雛(がりゅうほうすう)」

まだ世間では知られていないが、とんでもない傑物といった意味です。

これは諸葛亮孔明と龐統の異名として有名です。

そんな「臥龍」と呼ばれた諸葛亮孔明に転機が訪れます。

晴耕雨読の生活を慎ましやかにおこなっていた諸葛亮孔明の下に訪れた人物がいます。

その人物こそが劉備です。

彼は、義兄弟である関羽張飛と共に諸国を転戦していた、いわば軍団長のような位置でしたが漢王朝復興に情熱を燃やす人物でもありました。

しかし、臥龍と呼ばれて埋もれる事久しい孔明、簡単に会うと足元を見られると思ったのか簡単に会おうとはしませんでした。

劉備なる人物は、果たして己の人生を賭けても悔いのない人物なのかどうか。

「臥龍」と呼ばれている自分の才能を発揮しないまま、己の人生を終わるのか。

諸葛亮孔明は、悩みに悩んだのではないでしょうか。

そして三度目の訪問で、やっと劉備に会う決心をします。

これが世に有名な「三顧の礼」です。

同じような逸話が日本にもあります。

かの豊臣秀吉が竹中半兵衛を勧誘する際に「三顧の礼」を用いたと言います。

▼豊臣秀吉関連の記事は▼

三国志演義の主人公は劉備ですが、もう一人重要な役柄を演じる人物がいます。

その人物は魏の当主である曹操という人物です。

彼は非凡な才能とカリスマ性があり、次々と国を制圧した人物です。

この曹操ですが、従っている配下の武将も傑物揃いです。

もし諸葛亮孔明が曹操の配下になっていたならば、軍師にもなれなかったかも知れません。

さて劉備の軍師となった孔明は、「天下三分の計」という戦略を劉備に伝えます。

これは、天下を三国に分けて統治するといった意味合いで、劉備にとっては唯一生き残る術でもあったのでしょう。

この戦略・スローガンに則って、戦術を練ります。

まず孔明は、曹操との対戦を控えている大国・呉の君主である孫権に近づきます。

呉には、諸葛亮孔明のライバルと呼ばれる周瑜がいます。

孫権・周瑜は、勢いのある魏との対戦には否定的でしたが、孔明の説得で対戦に踏み切ります。

諸葛亮孔明を信用していない周瑜は、戦いが始まると孔明に無理難題を押し付けます。

3日で10万本の矢を魏軍から奪ってこいと言うものです。

この難題を難なくクリアした孔明は、さらに天気を操り、火攻めで曹操率いる魏軍に大勝します。

赤壁の戦いのドサクサに紛れ、劉備は蜀国を立ち上げます。

これは孔明の計略によるところが多く、周瑜はことごとく孔明の策略にはまったという。

「天はこの世にこの周瑜を生みながら、なぜ諸葛孔明を生んだのだ!」

周瑜は、最後にこの言葉を残して亡くなったと言います。

しかし、晴れて蜀国立ち上げに成功した孔明に大きな誤算があったのです。

それは劉備の義理人情に厚い性格です。

劉備の性格により、孔明も付き従った訳ですが、負けを知りながら呉に対戦をする事件が起きるのです。

それは呉の計略により、義兄弟・関羽が亡くなってしまったことです。

「桃園の誓い」により、劉備・関羽・張飛は死ぬ時は一緒という契りを結ぶほど、厚い絆でできた義兄弟です。

関羽の弔い合戦を敢行しようとする劉備。

負けがわかっている合戦を必死に説得する孔明。

胸アツの展開ですが、結果は予想通り呉の大将・陸遜(りくそん)の計略により大敗北です。

この大敗北により、劉備は孔明に後事を託すと亡くなります。

その後の孔明は、蜀の宰相としてマルチな才能を遺憾無く発揮するのでした。

劉備の死後、諸葛亮孔明は宰相として、劉備の息子・劉禅を守り立てます。

この劉禅ですが、世に暗愚な国主として有名です。

しかし全権を諸葛亮孔明に任せたことを考えると、足るを知る人物でもあったのではないでしょうか。

ともかく全権を任された孔明は、政治・経済・軍事・内政など全てをこなします。

特に力を入れたのが北伐。

魏・呉・蜀と成程、三国を成立させましたが国力の弱い蜀は、まだまだ弱小勢力の一つです。

そこで孔明は、南中を速やかに平定し北伐に挑むのです。

北伐、すなわち魏への進行は合計五回にも渡る壮絶な戦いでした。

この北伐で有名な武将といえば、「泣いて馬謖を斬る」馬謖でしょう。

後は魏延なども有名な武将です。

そして北伐戦線で最も輝くのが司馬懿

諸葛亮孔明のライバルとして鎬を削る役です。

第五次北伐では、病に倒れ亡くなった孔明ですが、死後も司馬懿を翻弄させ

「死せる孔明、生きる仲達を走らせる」と人々は語り合ったという。

アニメ・ドラマ「パリピ孔明」でも、有名な三国志演義の計略を用いて、主人公・月見英子をスターダムにのし上がらします。

ここで三国志演技で有名な計略を一部ご紹介します。

この計略を理解すれば「パリピ孔明」も数倍楽しく見ることができるかも。

関羽の弔い合戦である「夷陵(いりょう)の戦い」で大敗した劉備。

それを追撃する陸遜を惑わせたのが、諸葛孔明の計略でした。

追撃途中の魚腹浦にたくさんの石が配置し、そこから出ようとした陸遜は、激しい風と山のように積み重なった石によって道に迷い追撃を諦めたという三国志演義での有名な計略です。

草船借箭の計(そうせんしゃくせんのけい)とは、前述した周瑜が3日で10万本を魏軍から略奪するように言われた孔明。

夜陰の霧が深い中、20隻の藁を敷き詰めた船を出し、それを奇襲と思った魏軍が慌てて、矢を放ち、まんまと10万本をせしめたという計略です。

錦嚢(きんのう)の計とは、周瑜の劉備暗殺計画をいち早く見抜いた孔明が、劉備の護衛についた趙雲に3つの袋を授け、劉備の危機に及んだ時に袋を開けるように指示をだしたという計略です。

これにより、劉備は事なきを得ました。

計画を見抜かれた周瑜は、怒り心頭だったそうです。

諸葛亮孔明の計略ではないですが、こちらも三国志演義では有名な計略です。

兵法三十六計の一つで、いわゆるハニートラップというやつです。

これは王允(おういん)が用いた計略で、貂嬋(ちょうせん)という絶世の美女を董卓呂布に近づけさせ、二人を仲違いさせるという計略です。

こちらも孔明の計略ではなく、曹操の軍師である賈詡(か く)が用いたとされる計略です。

これは、偽の情報を流して、仲の良い二人を仲違いさせるといった計略です。

馬超韓遂と曹操が戦った潼関の戦いで、この計略を用いました。

この他にも、パリピ孔明では、祖茂(そぼう・そも)のエピソードや孔明発案の肉まんなど、随所に三国志ネタを散りばめられています。

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何でも出来るスーパー天才の諸葛亮孔明ですが、実は裏で孔明のヨメがアドバイザーであったという説があるのをご存知でしょうか。

孔明のヨメは、黄月英という学問と工作に優れた賢い女性であったそうです。

故事に「孔明のヨメ選び」というものがあって、黄月英は美人ではなく、色黒の女性であったが才能に惚れ込んで孔明はヨメにした事による皮肉です。

真実は分かりませんが、このヨメ、賢いヨメであったのでしょう。

孔明に様々な知識を与えたそうで、天候の読み方運搬用に使った木牛や流馬の造り方などは全て彼女によるとの事。

そう考えると赤壁の戦いや、その後の孔明の活躍は、全て黄月英のアドバイスの賜物となります。

実は諸葛亮孔明、伴侶を見る目が天才的だったのかも知れません。

▼孔明のヨメ▼

あの諸葛亮孔明がデレる!

クールな孔明も良いですが、こんな孔明も魅力的ではないでしょうか?

ぜひ一度読んでもみてはいかが

本日は「パリピ孔明」の主役である諸葛亮孔明に焦点を当てて、講釈を垂れてみました。

諸葛亮孔明が天才軍師と言われる所以は

・幼少期から学問に秀でており「臥龍」と呼ばれていた

・後の君主である劉備には、勿体つけて3回も訪問させる

・赤壁の戦いでは、敵軍から10万本の矢を奪い、天候も予想できるほどの才能を見せつける

・劉備の死後は、蜀の宰相としてマルチな活躍をみせる

・実は孔明のヨメが凄かったという説もある

・パリピ孔明は三国志演義でお馴染みの計略が沢山でる

などなど

「パリピ孔明」は、蘇った諸葛亮孔明が、その才能を現代でも遺憾なく発揮するといったところが非常に趣のあるアニメ・ドラマです。

現代でも大活躍する天才軍師・諸葛亮孔明。

さしずめ

「死せる孔明、エンタメ業界を活かして走らせる」

といったところでしょうか。

それほどまでに諸葛亮孔明は、その時代だけでは終われない魅力的な男なのでしょう。

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