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目次
戦国のアンチヒーローはゆってぃの先祖?
「ワカチコ!ワカチコ!」
一世を風靡した「ゆってぃ」のご先祖さまが、戦国武将の藤堂高虎であることをご存知ですか?
藤堂高虎とは、転職を7回繰り返した人物で、最後は徳川家康に従ったことで世間からの評判が悪い戦国武将です。
まさに戦国時代のアンチヒーローである藤堂高虎。
彼は、なぜ転職を繰り返したのか?
転職を成功する秘訣は?
今回は、藤堂高虎から学ぶ成功の秘訣と高虎がつくった城のご紹介、大河ドラマの藤堂高虎役を演じた俳優などをご紹介します。
あまり評判のよくない武将である藤堂高虎の魅力に迫ります。
この記事で、ゆってぃ同様藤堂高虎の評価が少し高くなるのでは?
転職を考えている方にも、まさに転職活動をしている方にも、少し気が楽になる記事となっていますので、是非ご覧ください。
7回転職した藤堂高虎とは?
藤堂高虎は、7回主君を変えた戦国武将です。
現代の言い方をすると転職回数7回です。
7回の転職と聞くと、否定的に聞こえるかも知れません。
たしかに今の日本では、転職を繰り返すと年収が下がる傾向にあり、企業から歓迎されないことも多いです。
しかし、彼は順調にステップアップし、ついには大名にまで登り詰めます。
藤堂高虎は、どのようにして転職に成功させたのでしょうか?
藤堂高虎を簡単にご紹介し、強みや成功したターニングポイントなどをご説明いたします。
時代は違えど転職は大変な労力です。
それを7回も転職をし、ついには成功した藤堂高虎にとって、転職とはについてお伝えいたします。
現代でも参考になる転職への姿勢について学べるかも知れません。
190cmの大男!藤堂高虎のプロフィール
藤堂高虎の出自・家柄は、必ずしも恵まれていたとは言えません。
元は地方の領主なのですが、高虎の時代には没落し、農民と変わらない暮らしぶりです。
しかし、藤堂高虎は、持って生まれた体力・気力がありました。
身長は190cm。
藤堂高虎の遺体は、戦場で受けた傷が多く、指は欠損していたそうです。
勇猛果敢な猪突猛進タイプの人物だったのでしょう。
あるいは猛烈社員のようなタイプといっても良いでしょう。
最初に勤めたのが、浅井家です。
主君は浅井長政。
あの織田信長の義弟で、お市の方の夫として有名な人物です。
以下、藤堂高虎の主君と転職理由などを表にまとめました。
主君 | 転職理由 | |
浅井家 | 浅井長政 | 同僚との揉め事で退職 |
浅井家の重臣 | 阿閉貞征 | 主君が嫌で1ヶ月で退職 |
浅井家の重臣 | 磯野員昌 | 主君の敗北・数ヶ月で退職 |
織田家の重臣 | 津田信澄 | 昇給が見込めないため |
豊臣家 | 豊臣秀長 | 主君の死亡 |
豊臣家 | 豊臣秀保 | 秀長の息子・夭折 |
豊臣家 | 豊臣秀吉 | 秀長の縁で雇用されるが・・・ |
徳川家 | 徳川家康 | 最後まで勤める |
この表から藤堂高虎が転職を繰り返すのは、主君の死亡などが主な理由です。
そして、もう一つ。
尊敬できる人間の下でしか働きたくないということが分かります。
社長や上司に魅力を感じて入社し、懸命に働くけども、会社には依存したくない。
そのような心持ちでしょうか。
しかし、転職活動中は、無銭飲食をして放浪していたとも言われています。
価値基準が「人」にある藤堂高虎の転職活動も苦労の連続であったのが伺えます。
「士は己を知る者の為に死す」
この言葉を何より体現した男なのです。
特に最後の主君・徳川家康への忠勤ぶりは目を見張るものがありました。
その甲斐あって、藤堂高虎、今際の際の家康に立ち会うことが許された外様大名唯一の人物となったのです。
家康死後も幕府に尽くし、75歳の濃密な人生に幕を閉じました。
強みは城づくり!それと…
「あなたの強みは何ですか?」
面接でよく聞かれる質問です。
藤堂高虎の強みは「城づくり」です。
当時「城づくり」は、ニーズの高いスキルであり、彼自身は一級の「城づくり」名人だったのです。
一般的に城づくりの名人と聞くと豪華で堅牢な城をつくる名匠といったイメージを持たれます。
確かに、藤堂高虎の城も名城ですが、それだけではありません。
藤堂高虎がつくる城の特徴は
- 顧客のオーダーに応えた城
- 実用的かつ効果的な城
- コスパを考えた再現性の高い城
なのです。
次に藤堂高虎の代表的な2つの城で、彼の城つくりの特徴を詳しくみていきましょう。
藤堂高虎の代表的な城をご紹介
藤堂高虎の代表的な城といえば伊賀上野城と今治城です。
二つの城をつくらなければならない理由は
- 伊賀上野は関ヶ原の戦いでの要所
- 今治は他国との海上貿易の要所
が挙げられます。
どちらも可及的速やかに城づくりをしなければならない事情もあり
- 時間と経費をかけずに城をつくりたい
- 貧相な城だと要所としての機能にならない
- 壊されても、建て直せるように土台だけはシッカリしたい
上記の課題を見事クリアできるのが、藤堂高虎の「城づくり」の強みなのです。
つまり、本質的な課題や問題を抽出して、計画・遂行できる能力が優れていたということです。
よく加藤清正と藤堂高虎の「城づくり」の比較がされます。
個人的には
- 加藤清正は、城本来の備えたい機能および城自体の美しさを追求した名人
- 藤堂高虎は、顧客のニーズに応えた城を徹底的に追求した名人
ではないかと思います。
必然的に加藤清正の城は経費が高く、藤堂高虎の城は経費が安く、かつ再現性が高くなります。
「あなたの強みは何ですか?」
もし藤堂高虎が質問されたなら
「顧客視点に立ったプランニングと結果にこだわる目的遂行能力」
このように答えるのではないでしょうか?
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一番の強みは主君に取り入る能力と学習能力
藤堂高虎の転職での価値基準は
「この人と一緒に仕事がしたい!」
です。
主君のためには、献身的に激務を務めます。
また、主君に取り入るためには情報収集を欠かせません。
情報収集とは、主君の趣味嗜好はもちろん、主君に有益な情報や主君が必要になるであろう情報の収集のことです。
先ほど、顧客視点に立つのが強みであると述べましたが、その強みは情報収集にも役立つ強みでもありました。
例えば
- 主君・豊臣秀長が当時一流の文化人とも繋がっていたこともあり、茶道の知識をかなり持つ文化人となる
- 主君・徳川家康のために関ヶ原の戦いの前には、多くの武将を寝返らせることに成功している
- 主君・徳川家康が襲撃されるという噂があったときは、何日も徹夜で警護している
これらは、主君が何をすれば一番喜ぶかを常に考え、行動した結果ではないでしょうか。
また、優秀な主君に付き従った影響により
- 築城能力の開花
- 茶道の知識がつき、朝廷とのパイプ役となる
- 著名な戦国大名や文化人との人脈が増え、政治的なつながりが増えた
- 転職活動を経験したことで人材育成能力が向上
つまり
尊敬する社長や上司に役立つ情報収集能力
情報収集能力を向上するための学習を継続する能力
が特に優れていた強みなのです。
藤堂高虎は、人のために尽くす人物です。
特に尊敬し、評価もしてくれた豊臣秀長には思い入れが強く、秀長と秀長の息子が亡くなったときには、転職をせず高野山に出家するほどです。
しかし、藤堂高虎を高く評価していた豊臣秀吉の勧誘により、復職することとなります。
豊臣秀吉の下でも、培った能力を発揮しますが、仕事に対する情熱を失いつつあったのかも知れません。
そんな時に情熱を再び注げる君主に出会いました。
その名前は、徳川家康。
彼は、最後の君主となる家康に、自分が持っている情熱の全てを注ぐこととなるのです。
なぜアンチヒーロー扱いなのか?
藤堂高虎は、当時でも後世でも、評判の悪い人物です。
ポイントは豊臣家の家臣であったのにも関わらず関ヶ原の戦いの前から徳川家康に従ったこと。
この行為が評判を落としてる原因です。
「恩義のある豊臣家を裏切って、早々に徳川家に寝返った」
世間からは、そのように思われてしまったのです。
しかし、高虎の価値基準は
「この人と一緒に仕事がしたい!」
です。
豊臣秀長には魅力を感じたが豊臣家には魅力を感じない。
同様に徳川家康に魅力を感じたから従う。
藤堂高虎にとっては、当然至極の行動なのですが、世間には受け入れられなかったのです。
「アンチヒーロー」として、変節漢、日和見的、世事に明るい小人物。
このような不当な扱いを受けることとなるのです。
大河ドラマでも、あまり大した人物として描かれないのは、世間の評価に起因しているからでしょう。
つぎに歴代大河ドラマで演じた俳優をみていきましょう。
歴代大河ドラマで藤堂高虎を演じた俳優たち
歴代大河ドラマで藤堂高虎役を演じた俳優を表にまとめました。
年代 | 大河ドラマ | 俳優 |
1983年 | 徳川家康 | 前田昌明 |
1989年 | 春日局 | 卜字たかお |
1996年 | 秀吉 | 徳秀樹 |
2000年 | 葵徳川三代 | 田村亮 |
2003年 | 武蔵 | 誠直也 |
2009年 | 天地人 | 一岡裕人 |
2016年 | 真田丸 | 日野誠二 |
2023年 | どうする家康 | 網川凛 |
決して、主役ではないがキラリと光る藤堂高虎を俳優陣が演じているのがお分かりできるのではないでしょうか。
そして、2026年大河ドラマ「豊臣兄弟」の藤堂高虎役は、一体誰が演じるのか、今から楽しみです。
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ゆってぃのご先祖さまは凄い人!
「ちっちゃい事は気にするな」
ゆってぃのキラーワードですが、ご先祖さまも「ちっちゃい事は気にしない」人物でした。
ゆってぃのご先祖さまである藤堂高虎。
彼は
- 7回転職している転職の達人
- 君主に尽くしすぎる武将で、ついに大名にまで登り詰めた成功者
- 転職に成功する数々のスキルや強みを持っていた
- 徳川家康に従ったことで、世間からの評判は悪い
転職回数が多くても、世間から冷たい目で見られても、自分の価値基準は曲げない。
転職を成功させる秘訣は
「誰に何を思われても、自分の信じるものに従って、自信を持って突き進むこと」
なのではないでしょうか。
そのためには
「常にアンテナを広げ情報収集を欠かさず、学ぶ気持ちと継続する意思を持ち続ける」
ということなのでしょう。
転職に関わらず人生の多くの事柄を、藤堂高虎から学べます。
ゆってぃも芸能界でしぶとく生きる術をご先祖さまから学んだのかも知れません。
転職も一度の失敗は気にしない心構えが重要であるということを藤堂高虎から学べたように思えます。
しぶとく、ずぶとく、今後の人生に活かせていただければ幸いです。
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