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【独眼竜は料理がお好き】凄腕シェフ伊達政宗の腕前

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歴史
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天下人も唸らせた伊達政宗の料理好き

東北随一の戦国大名といえば、伊達政宗の名が挙げられ、今でもテレビやアニメ、小説などでも人気のある武将です。

伊達政宗と聞いて、パッと思いつくのが、謝罪の天才。

豊臣秀吉の天下が揺るぎなくなった小田原征伐のおり、政宗は遅参の詫びに、死装束を纏って、謁見したところ、秀吉の大層気に入られたという逸話です。

また派手好きで知られた政宗は、後世にオシャレで粋な男性を指す言葉「伊達男」の語源にもなった人物です。

そんな、天下を賑わす男である伊達政宗ですが、一番こだわったのが料理なのです。

また政宗は、料理にも一過言あり、毎朝起きるとトイレにこもり、その日の献立を考えていたそうな。

今回は、伊達政宗の料理哲学と政宗が考案したとされる料理の数々、政宗ゆかりの仙台を紹介しつつ、料理の魅力について言及していこうと思います。

伊達政宗の料理哲学

伊達政宗の朝のルーティンは、まずトイレに設置されている紙と硯で、今日の献立を考えることから始まります。

料理にこだわりを持っている伊達政宗には、独特の哲学があります。

政宗曰く

「料理が人をもてなす上で、重要な事柄であり、メニューを差配・管理するのは主人の仕事である」

「料理の心得がない者は、心が貧しい者である」

などとおっしゃっています。

相当な料理通である政宗の人生を少しおさらいすると共に、政宗が考案したとされる料理の数々を簡単に紹介いたします。

・伊達政宗の人生

伊達政宗は、1567年、現代の山形県米沢市で生まれました。

幼少期に、天然痘を患い右目の視力を失ってしまいます。

そのことがキッカケで政宗は、ネガティブで引っ込み思案の少年だったそうです。

あまりのネガティブ思考に辟易した家臣である片倉景綱(小十郎)が、眼球を切り取ろうとしたという逸話が残されています。

その後、虎哉宗乙(こさい そういつ)とうい名僧の下で勉学を励んだ政宗は、君主としての在り方や誇りを学び、立派な青年として成長するのです。

伊達政宗が家督と継いだのは18歳、本能寺の変の2年後である1584年の頃です。

家督を継いだ政宗は、戦国大名としての才能を遺憾無く発揮し、とうとう奥州の半分まで制覇するに至ります。

しかし、天下統一に打ってでるには、多分に遅すぎた戦国武将でした。

世の中は、織田信長の後を継いだ豊臣秀吉の天下が揺るぎなくなる時代へと突入していました。

1590年、天下統一の最後の締めくくりとして、豊臣秀吉は、小田原征伐に赴きます。

その兵数、なんと約21万人。

天下の名だたる武将が豊臣秀吉につく中、奥州の覇王の意地か、はたまた北条氏との同盟を重んじたのか。

政宗は、一向に小田原へ赴くことに首を縦に振りません。

ようやく秀吉側につくことを決断した政宗ですが、ほぼ豊臣秀吉の勝ちが確定している時期でした。

当然、遅刻の理由を考えなければならない政宗は、一説に母親である義姫との仲が悪く毒殺されそうになったという事件を捏造したとも言われています。

そして、有名な「死装束」のパフォーマンスで謁見し、豊臣秀吉に許されたのです。

この「死装束」パフォーマンスで、政宗は2回も秀吉に許されたそうですから、鉄板のネタのような感じだったのかも知れません。

その後、関ヶ原の戦い・大阪の陣では、徳川方につき、仙台藩62万石初代当主となり、70歳の生涯を閉じたのでした。

伊達政宗の主な業績としては

・奥州のほぼ半分を手中に収めた(現代でいうと福島県・宮城県・山形県など)

・仙台を今でも有数な都市に変えた偉大な人物(インフラ・流通・経済・米の生産)

・1613年、遣欧使節(けんおうしせつ)を結成し、仙台藩とスペインの通商交渉を図ろうとした(支倉常長が有名)

・天下の副将軍と異名がつくほど、徳川幕府の安定に尽力した

・伊達男の語源になった

などでしょうか。

そして忘れてならないのは、仙台を食の都にした偉大な人物でもあったのです。

・伊達政宗考案?仙台名物の数々

天下有数の美食家であり、料理研究家である伊達政宗は、今でも残っている仙台の名産品や名物を多数輩出した人物でした。

仙台の名物には、伊達政宗あり。

ここでは代表的な名産品・名物を挙げます。

・仙台味噌

味噌の分類は

・麹による分類:米味噌・麦味噌・豆味噌

・色による分類:白味噌・赤味噌

・味による分類:辛口・甘口

に分かれます。

仙台味噌は、米味噌主体の赤味噌で辛口にあたる味噌です。

この味噌は、伊達政宗が考案されたとされ、朝鮮出兵の際、長期保存が効く仙台味噌は、とても重宝されたそうです。

・ずんだ餅

枝豆をすり潰し、砂糖と整え餅にかける、ずんだ餅は、現代でも仙台土産の一つとして有名なお菓子です。

宮城県は、米の名産地としても知られ、よく餅も食べる習慣のある土地です。

餅の食べ方・ずんだ餅の種類も豊富で、仙台観光の際は、ぜひ食べてほしい逸品です。

こちらも政宗が考案したと言われている食べ物です。

・伊達巻き

伊達政宗は、さかなのすり身と玉子を混ぜ焼いた伊達焼きを好んで食したそうです。

ここから派生して、伊達巻きとなり、正月や慶事には欠かせない食べ物となりました。

ちなみに、伊達巻きの巻きが巻き物と似ていることから、学業成就にご利益がある食べ物となったそうです。

・笹かまぼこ

笹かまぼこは、明治初めに考案された食品ですが、笹に似ていることから伊達藩の家紋に因んだ食べ物となりました。

仙台では、国民的アイドルである伊達政宗の影響が垣間見れます。

また、笹かまぼこの主原料は、スケドウダラを使用しており、高タンパク・低カロリーの食品として、近年の筋トレブームで脚光を浴びている食品でもあります。

鶏群の一鶴!伊達政宗のオモテナシ

料理を愛してやまない伊達政宗は、江戸にある伊達屋敷に将軍を招いて、料理を振る舞ったそうです。

その料理は、贅の限りを尽くした絶品料理ばかりだったのです。

三代将軍である徳川家光を、お招きした際の料理数は、実に54種類はあったそうです。

特に当時から貴重とされていた鶴の吸い物もあり、鶴であることを証明するために脚も添えられていたという。

裏切りのイメージが強く、天下を虎視眈々と狙っていた伊達政宗ですが、料理に対するオモテナシは表しかなかったのでしょう。

戦国時代を生き抜き、知略と機転、料理への繊細さや感受性を持ち合わせた伊達政宗は、まさに鶏群の一鶴(凡人の中に偉人が混じっているという意味)と呼ぶに相応しい人物ではなかたのでしょうか。

▼最後の将軍のグルメにまつわる記事は▼

魅力的な仙台巡り・政宗ゆかりの地

仙台のスーパースターである伊達政宗ゆかりの地を巡る旅は、とても赴きがあり、興味深い旅となるでしょう。

ここでは、代表的な政宗ゆかりの地と政宗にまつわる歴史について、簡単に解説していきます。

・青葉神社

1874年に伊達政宗を崇拝する有識者が中心となって建立されたのが、青葉神社です。

御祭神は武振彦命(伊達政宗公)。

また本殿には、正室・愛姫を合祀しています。

国の登録有形文化財に指定されている神社です。

・瑞鳳殿

瑞鳳殿は、仙台藩主伊達政宗の霊廟であり、霊廟とは、死者や祖先の霊を祀る施設のことです。

1637年に仙台藩二代藩主である伊達忠宗が創建しました。

現代は、仙台空襲により再建された建物ですが、桃山文化に触れることができる豪華絢爛な霊廟です。

・仙台城址

仙台で一度は訪れるべき場所といえば、仙台城址です。

仙台市内を一望できる青葉山にあります。

伊達政宗公騎馬像があり、歴史の息吹を感じれる場所でもあります。

仙台城内には、「仙台城見聞館」があるので、こちらも一見の価値ありです。

料理を趣味にして、多幸感のある人生を!

伊達政宗は、戦国武将の中でも、特に知略・機略に富み、学もあった武将でした。

その才能は、軍事や領国経営に向けられたものだけではなく、料理でも発揮されました。

仙台の繁栄は、伊達政宗の貢献が多いにあり、杜の都などと今でも謳われている有数な都市へと進化を遂げています。

料理を趣味にするメリットは

・ストレス発散

・想像力を養える

・新しい料理のスキル習得

・食事を意識するので健康的になる

・自分で料理するので、長期的には節約につながる

・家族や友人とコミュニケーションが拡がる

・料理を通して、自己表現につながる

等などメリットづくめです。

伊達政宗も人生に迷ったり、悩んだ時に料理を作ることで、前向きになったのかも知れません。

料理を作ることを趣味にすることは、人生を豊かにすることと同義語である。

伊達政宗の人生を知ると、そのように感ぜずにはいられないのでは、ないでしょうか。

  

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