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【心躍らせて念仏】空也・一遍・ええじゃないかの形

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\「踊り念仏」について深く知りたい方はこちら/

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踊りがつなぐ心と歴史の物語

人生には、ときにどうにもならないことが訪れます。

家庭の不和

仕事の行き詰まり

社会との閉塞感。

そんな時、私たちは何を拠り所にしてきたのでしょうか。

現代に生きる私たちが、千年前の人々の祈りに心を重ねるとは、少し不思議な感覚かもしれません。しかし、歴史に名を残した空也や一遍、そして名もなき人々が踊り念仏や「ええじゃないか」の掛け声に託した心は、今を生きる私たちの感情とも深くつながっています。

平安の世に民衆の中へと飛び込み、

仏の名を口にしながら町を歩いた空也。

鎌倉の混乱期に、

念仏と踊りを融合させて人々の心をつかんだ一遍。

幕末の不安な時代、

目的すら定かでないまま全国を席巻した「ええじゃないか」運動。

これらはすべて、どうしようもない現実の中で人々が心の平穏を求め、祈り、そして感情を爆発させた行動でした。

この記事では、踊り念仏を創始した市聖・空也、踊りを通じて民衆に希望を伝えた遊行上人・一遍、そして日本中を巻き込んだ「ええじゃないか」運動について、その背景と意義を紐解いていきます。

また「おじさん」に向けて、

歴史から学べる人生のヒントや現代にも通じる共感のポイントも紹介します。

多趣味で好奇心旺盛、そして過去から教訓を得たいと考える読者の皆さんに向けて、固くなりすぎず、分かりやすく、しかし深く心に響く内容をお届けできたらと思っています。

私自身もかつて、日々の生活に疲れ、「何のために働いているのか」と思い悩んだ時期がありました。

そのとき出会ったのが一遍の「踊り念仏」という考えです。

念仏を唱えながら踊るなんて、初めは奇妙に思えました。

しかし、それが一種の「心のデトックス」であり、人間が本来持っている感情を開放する手段であったと知ったとき、胸の奥に灯がともった気がしました。

今の世の中にも、「踊ること」「声を出すこと」「表現すること」で救われる場面があります。

スポーツの応援、カラオケ、地域の祭り。どれも、日常から解放され、自分をさらけ出せる場所ではないでしょうか。

過去の出来事や人物を単なる歴史として知るのではなく、現代の私たちの心にどう響くのかを考えることで、より深い理解と気づきを得ることができます。

この記事では、そんな視点から「踊り」と「祈り」が織りなす日本の歴史を丁寧に紐解き、人生のヒントを一緒に探っていきたいと思います。

それでは、時を超えて心を揺さぶる物語を、一緒に辿っていきましょう。

民衆の中に生きた革命僧・空也とは!

突然ですが

空也という人物を知っていますか?

現代のようにメディアやSNSがない時代、どのようにして人々に「祈り」や「思い」を伝えたのでしょうか。

空也(くうや)という僧侶は、そんな問いへの一つの答えをくれる人物です。

彼は自らの立場や出自を語ることを避け、市井に身を置きながらも、庶民の中で宗教の本質を伝え、時代の息苦しさを少しでも和らげようとしました。

空也は、平安時代中期(903〜972年)に活躍した僧侶で、後に「市聖(いちのひじり)」とも称される人物です。

なぜ彼がそれほど人々の心を打ったのか。

その鍵は、「宗教を庶民の手に取り戻す」という、ある意味で革命的な思想にありました。

当時の宗教は、貴族や権力者のものでした。

寺院は税金を逃れるための道具になり、仏の教えは一部の階層の特権となっていたのです。

そんな中、空也は「口称念仏(こうしょうねんぶつ)」というスタイルを広めます。

これは「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と声に出して唱えることで、誰でも心が救われるという教えでした。

読経の知識がなくても、寺に通わなくても、声に出せばそれでよい——そう言い切った空也の姿勢は、当時の人々にとってどれほど救いだったことでしょう。

言葉と祈りは、社会を変える

空也が民間で広く支持されたのは、ただ念仏を唱えるだけでなく、それを「実践」して見せたからです。

京都・六波羅蜜寺にある有名な「空也上人立像」では、彼の口から6体の阿弥陀仏が連なって出てきている様子が再現されています。

これは、念仏が言葉となり、仏の形となって人々を救うという空也の思想を具現化したものです。

しかもこの仏像、製作したのはあの運慶の息子・康勝。武骨で写実的なその造形からも、空也という人物が「リアル」な存在だったことがうかがえます。

伝説ではなく、生きた人間として、多くの人々の記憶と信仰の中に存在していた——それが空也なのです。

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現代に通じる空也の教え

空也の姿勢には、現代の私たちにも通じる「行動する信念」があります。

言葉だけでなく、身体で表現し、実践する。

そして、その行動が他者に勇気や癒しを与える。

空也はまさに、ボランティアの原型、NPOの先駆けのような存在でした。

たとえば、介護や教育、医療など、社会を陰で支えている方々。

彼らもまた、空也のように「誰かの救い」のために行動しているのではないでしょうか?

目立たずとも、声を上げずとも、誰かを想う祈りは確かに存在している——そう考えると、空也の生き様は、現代を生きる私たちへのエールのように思えてなりません。

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六波羅蜜寺にみる空也像

空也で特に有名なものは、六波羅蜜寺が所蔵する「木造空也上人立像」でしょう

これは、重要文化財に指定されている程の芸術作品で、製作者は仏師・康勝(こうしょう)です。

この康勝の父は、金剛力士立像を造仏した運慶です。

偉大な運慶とは一線を画す写実的でモダンなアートである「木造空也上人立像」。

康勝も空也と同じように権威を嫌った革命児であったのでしょう。

康勝が、空也像を造ったのも、何かしら共鳴する部分があったのかも知れません。

70歳でこの世を去った空也の最後の場所が六波羅蜜寺です。

ちなみに

六波羅蜜寺は、京都市東山区にある寺院であり、創建者は、空也とされています。

この六波羅蜜寺には、空也像があるのも先ほど述べました。

空也の息吹を感じる六波羅蜜寺。

一度訪れてみてはいかがでしょう。

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踊り念仏に命をかけた魂の僧!一遍

一遍とは何者?

簡単な紹介をすると

一遍(いっぺん)は、鎌倉時代中期(1239年〜1289年)に生きた浄土宗系の僧で、時宗(じしゅう)の開祖として知られた僧です。

しかし彼もまた、宗派や教義に縛られることを嫌い、既存の仏教に違和感を抱いた人物なのです。

その精神は空也の影響を色濃く受けており、彼の活動には「自由な祈り」への強いこだわりが見られます。

一遍の特徴は、なんといっても「踊る」という手法を取り入れたこと。

彼は、人々に南無阿弥陀仏の念仏を勧める際、単に唱えるだけでなく

手を叩き

太鼓を打ち

舞を取り入れて、まるでお祭りのような形式で信仰を広めていったのです。

この「踊り念仏」は、人々の心を震わせ、自然と口から「ナムアミダブツ」が溢れるような感動を生んだといいます。

\一遍を詳しく知るには/

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白蔵 盈太 | 2024年12月06日頃発売 | 娯楽がない鎌倉時代、人々に刺激を与えたのは踊り念仏だった。家族も財産もすべてを捨てて阿弥陀仏の導きに従う一遍は、念仏を唱えて日本全国を行脚する。一遍と...

“信じられない時代”に必要なもの

一遍の生きた時代は、戦乱や天変地異が頻発し、人々の生活は常に不安に晒されていました。

鎌倉新仏教が次々と生まれた背景にも、「救われたい」という強い欲求があったからこそでしょう。しかし、一遍の方法は他の宗派と一線を画していました。

彼は難解な教義を説くのではなく、心の奥底から湧き出る「動き」「声」「感情」を信仰の形にしたのです。

当時の人々にとって、それはまさに“体感する救い”でした。

言葉ではなく、リズムと踊りで魂が浄化されていく——現代のフェスやダンスミュージックに没入するような感覚と、どこか通じるものがあります。

一遍が遺したもの

一遍は「教団」を組織せず、「経典」も遺しませんでした。

ただ、人々の中に飛び込んで念仏札を配り、踊り念仏を広めるだけ。その足跡は日本全国に残されており、「遊行(ゆぎょう)上人」として今も語り継がれています。

特筆すべきは、彼の信仰が“開かれたもの”であったこと。

“開かれたもの”とは、つまり平等であり、民主的であったということ。

階級や性別を問わず

老若男女が参加できる信仰の形だったという点で

実に見事に民主的でした。

一遍の踊り念仏は、ただの宗教的行事ではなく、自己解放であり、集団的な癒しの場だったのです。

現代における「踊り念仏」の意味

今の時代、私たちは「合理性」や「効率性」に支配されています。

SNSで何者かを演じたり、成果を出さなければ意味がないという空気が漂っています。

そんな中で、一遍のように「ただ唱える」「ただ踊る」という無償の行為には、何か大切なことを思い出させてくれる力があります。

たとえば、仲間と踊った盆踊り、合唱コンクールで声を重ねた記憶——それらは、見返りや評価を求めたものではなく、ただ一体感と楽しさに満ちた体験だったのではないでしょうか。

踊ることで信じる心が芽生える

それは、今も通じる人間の本質的な感情です。

辛いとき

叫びたいとき

身体を動かして心を震わせることは、理屈を超えてポジティブになれます。

そう思うと、一遍の踊り念仏は、現代においても必要不可欠な要素を秘めているのかも知れません。

爆発的人気「ええじゃないか」〜踊ることで救いを求めた民衆〜

結局、「ええじゃないか」って、なんだったのだろうか?

「ええじゃないか」とは、江戸時代の末期、1867年から1868年頃にかけて日本各地で自然発生的に起こった民衆の踊り騒ぎ運動です。

特に愛知・三重・京都などで盛んに広がり、人々が「ええじゃないか!」と叫びながら踊り狂い、町を練り歩いたという記録が数多く残っています。

しかし、奇妙なのはその目的。

政治的な要求も、経済的な訴えも特になく、何を目指しているのかはっきりしない。

単なるお祭り騒ぎとも言われれば、神がかり的な現象とも評される。

「なぜ、そんなことが?」と思う方も多いでしょう。

それこそが、この運動の本質なのです。

では、一体「ええじゃないか」とは何だったのだろうか?

持論を展開しようと思います。

抑圧の時代に爆発する“何か”

当時の日本は激動のさなかにありました。

幕末の動乱

倒幕と尊皇攘夷の対立

外国の開国要求

そして物価の高騰や天災の連続——庶民は未来が見えない不安と、生きる苦しさに押し潰されそうになっていました。

そんな中で、「ええじゃないか」という言葉が人々の口からあふれ出たのです。

意味は曖昧ですが

「どうにかなるさ」「構うものか」「神様がくれた自由じゃないか」など

開き直りや一種の諦め、そして救いへの願望が込められていたとされます。

これは、まさに空也の“口称念仏”、一遍の“踊り念仏”とつながってくる精神です。

踊って、叫んで、日常のしがらみを一時的にでも超越する。

そのエネルギーは、まさに祈りであり、魂の解放そのものだったのです。

歴史の中の「爆発」

歴史は繰り返すといいますが、人間がどうしようもなく行き詰まったとき、言葉や論理を超えた“身体の表現”に向かう傾向があるようです。

古代ギリシャのディオニュソス祭

キリスト教の神秘主義的踊り

アフリカのトランスダンス

——世界中に「踊ることで救われる」という文化があります。

「ええじゃないか」もその一つだったのでしょう。

そして面白いのは、この運動に参加したのが農民だけでなく、町人、職人、遊女、子どもたちまでいたということ。

老若男女が境界を越えて踊り、叫び、共鳴しあう——まさに一遍の「万人救済」の思想と共通します。

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現代に「ええじゃないか」は必要か?

現代社会にも、かつての幕末と同じように、不安とストレスが満ちています。

AI、物価高騰、戦争の不安、孤独な老後——情報過多の時代に生きる私たちは、逆に本音や感情を押し殺し、表現する場所を見失いがちです。

そんな今こそ、「ええじゃないか」と叫び、踊り出す勇気が必要なのかもしれません。

たとえば、人生に疲れたときにカラオケで大声で歌う。

趣味のダンス教室で思い切り身体を動かす。

お祭りに参加して子どものようにはしゃぐ。

そうした行動には、一遍や空也の教えにも通じる“心のリセット効果”があるのです。

人生には理屈では乗り越えられない苦しみがある。

そのとき、踊って叫んで、涙を流しながら笑うことが、人間を再び生きる力へと導いてくれるのかもしれません。

踊りが救うという思想は今も生きている

踊りが人を救うという思想は、今なお私たちの中に生きています。

空也や一遍、そして「ええじゃないか」の民衆運動は、等しく共通している部分があります。

どうにもならない現実に直面したとき

ただ黙って耐えるのではなく

声を出し体を動かし

そして踊ることで心の奥にある叫びを外へと解放していったという点です。

それは神仏に祈るというよりも、自らの内面を立て直す手段だったのかもしれません。

「踊る」ことは、単なる娯楽ではなく、自分自身を取り戻すあるいはリセットする行為だったのです。

ヒンドゥー教の言葉に「心が変われば人生が変わる」という教えがあります。

空也や一遍はそれを深く理解し実践し続けました。

念仏を唱えることで心を整え

踊ることで行動を変え

それがやがて人生全体を変えていったのです。

私自身も、人生のどん底にいたとき、偶然立ち寄った盆踊りで笑いながら踊り、ふと心が軽くなった経験があります。

その時初めて「踊ることで救われる」という感覚を実感しました。

歴史は過去のものではなく、今を生きる私たちにも大切なヒントを与えてくれます。

もし今、悩みや苦しみで心が沈んでいるなら、声を上げ、体を動かし、踊ってみてください。

踊ること自体は、1000年も前、いや、それ以上も昔から人々がやっていたことであります。

そして、今の私たちが忘れてしまっている“生きる力”そのものなのかもしれません。

もしかすると

あなたの「踊り」が誰かの救いになる

何かのヒントになる

そんな瞬間が、いつの日か来るのかも知れません。

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