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【学び直しの日本史】江戸幕府15人の徳川将軍

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歴史
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徳川将軍の15人其々

江戸時代の徳川将軍は15人います。

徳川家康・徳川秀忠、あと2〜3人ぐらいなら自信を持って覚えているが、他の将軍となると、うろ覚えという方がほとんどではないでしょうか。

特に徳川将軍は、「家」と付く名前が多く、なかなか覚えるのに苦戦する名前です。

江戸時代の将軍名と出来事を覚えておくと、歴史に強い大人になりますし、日本史の試験にも高得点が得れるパーツです。

江戸時代の将軍と任期中の主な出来事を覚えて、江戸時代マスターになりましょう。

歴史を覚えるのが楽しくなり、ますます学習に身が入る江戸時代の旅に出かけてみませんか。

徳川将軍15代までご紹介と出来事

徳川将軍15代までの名前とエピソード、任期中に起きた出来事を将軍事にまとめましたので、ストーリーと共に理解を深める参考にしてください。

①徳川家康

歴史に興味がない人でも知っている有名人といえば、徳川初代将軍徳川家康でしょう。

1600年関ヶ原の合戦に石田三成に勝利し、1603年征夷大将軍に就任。

その後1605年、息子である徳川秀忠に将軍職を譲渡、自身は大御所として駿河で政務と執り仕切ります。

江戸幕府は約260年ほど続いた長期政権です。

1614年〜1615年大阪冬・夏の陣にて、豊臣家を滅亡し、完全に天下を我が物にしました。

主な出来事

・将軍職の世襲制度

・幕藩体制

・外交において、限定的な鎖国制度を始める

▼家康の女軍師の記事▼

②徳川秀忠

戦争下手で、父親である家康の影に隠れて、決して有能とは思われていない将軍。

しかし、実質的に江戸幕府の基礎を固めた実務に長けた将軍です。

江戸幕府の支配体制をより強固にするために数々の政策と諸藩への厳しい取り締まりを行います。

多数の大名が改易や処罰の対象となり、またキリシタン弾圧や鎖国制度も本格化しました。

父にならい大御所政治を行い、目を光らせた厳しい人物ですが、恐妻家として知られています。

圧政者としての側面が強い秀忠ですが、性格は穏やかで我慢強いところは父親ゆずりの性格だったのでしょう。

主な出来事

武家諸法度

禁教令

・長崎の出島以外の外交禁止

禁中並公家諸法度

③徳川家光

本格的な徳川幕藩体制を樹立した将軍で、生まれながらにして将軍であるという言葉が有名。

幼少の頃から病弱で、脆弱な性格であったようで、生母や一部の家臣は、弟の松平忠長を推す声もあったが、徳川家康の鶴の一声で、次期将軍を約束される。

将軍となった家光は、参勤交代を制度化し、諸大名が反乱を企てないよう経済的負担を強います。

また鎖国政策の更なる徹底・強化など、安定的な徳川体制を作った将軍。

あまり女性に対して興味が薄く、それを気に病んだ春日局が家光のために、大奥を作ったとも言われています。

主な出来事・人物

参勤交代

・幕府官僚・機関の確立(老中・若年寄・評定所など)

キリスト教禁止令/鎖国制度の完成

・武断政治から文治政治に移行

・1637年〜1638年島原の乱(天草四郎)

・春日局/柳生宗矩(柳生新陰流)・柳生十兵衛

④徳川家綱

徳川家光の急逝により、わずか11歳で将軍になった人物。

家康・秀忠・家光に比べると目立たない感じですが、文治政治を体現するべく緩和政策をおこなった将軍で、性格は穏やかなで非常に懐の深い人物であったそうです。

世にいう三大美事(末期養子禁止・殉死の禁止・大名証人の廃止)施策が有名。

これまでの強権政治とは一線を画す施策を行いますが、世継ぎがなく、家綱の弟である徳川綱吉が後を継ぐことになりました。

徳川家綱により、直系嫡子の世襲制度が崩壊することとなりました。

主な出来事・人物

1651年、末期養子禁止

1663年、殉死の禁止

1665年、大名証人の廃止

・1657年、明暦の大火

・保科正之/松平信綱(知恵伊豆)

⑤徳川綱吉

生類憐みの令で有名な犬公方と呼ばれた将軍。

綱吉は「家」の文字が付いてない将軍です。

これは、将軍候補ではなかったという意味があり、実際、家綱の弟という立場でしたが家綱の子を成さず亡くなってしまったため、急遽、将軍の座につきました。

儒学に深く傾倒していた人物で、湯島聖堂を建立し、儒学者を集い討論会を催していたそうです。

儒学には、人に優しく誠実であるべきという教えがあり、広く社会に儒学を浸透したいがために生類憐みの令を発布したとも言われています。

また綱吉の代の幕府は、直轄領である鉱山の枯渇や歴代将軍による贅沢などによる深刻な財政難に陥っていました。

これを打開するべく、質の悪い貨幣を造幣しますが、深刻なインフレに陥りました。

性格は、儒学に傾倒していたこともあり、非常に勤勉で真面目であったそうです。

主な出来事・人物

1685年〜生類憐れみの令(計135回改変された)

元禄文化

・1690年湯島聖堂建立

・新井白石/荻生徂徠/室鳩巣の輩出

・井原西鶴/近松門左衛門

・1703年赤穂事件(松の廊下/吉良上野介/浅野内匠頭/大石内蔵助/赤穂浪士47)

▼違う視点からの忠臣蔵▼

⑥徳川家宣

歴代将軍の中で最高齢の48歳で就任後わずか3年で亡くなった将軍。

水戸藩主であった徳川光圀による、強い推薦により将軍となり、綱吉の側用人であった柳沢吉保を罷免し、文官を重用しました。

これが7代将軍である家継にまで続く「正徳の治」につながります。

正徳の治をおこなった新井白石を重用し、生類憐れみの令廃止や酒税の廃止などを決断したことを考えると非常に決断力があり、物事を見通す力のあった将軍であったのでしょう。

性格は、厳格で真面目なだけではなく、庶民感覚といったものを持ちわせる将軍であったようです。

主な出来事

生類憐れみの令廃止

・武家諸法度の改変

新井白石の登用(正徳の治の始まり)

⑦徳川家継

家宣の嫡子であり、家宣と対照的にわずか5歳で将軍に就任し、8歳で亡くなりました。

そのため、政治の差配は、間部詮房と新井白石の2人の側近によって執り行われました。

新井白石による正徳の治は

正徳金銀の鋳造 

質の良い金銀を鋳造することにより、デフレを狙うも急激すぎて混乱に陥る

正徳新令あるいは長崎新令

金銀流入の制限

朝鮮通信使の待遇を簡素化 

また新井白石の朱子学は、非常に厳格な学問であるため、物事はこうあるべきという概念が非常に強い性格を持っていました。

主な出来事

・江島生島事件(大奥のスキャンダル・江島・生島新五郎)

・正徳の治

▼三大改革について▼

⑧徳川吉宗

天下の暴れん坊将軍で有名な人物ですが、行った政策などは倹約令や大奥縮小などイメージとは、かけ離れた将軍です。

「家」がついてないことからも将軍継承権持たざる紀州藩の出身です。

幕府の立て直しのための吉宗の政治改革は、享保の改革と呼ばれています。

米による年貢を税収のメインにしている幕藩体制は、質素倹約を強いるだけではなく新田開発、諸藩にさらなる年貢を徴収するといった政策を行ったのが享保の改革です。

享保の改革による重税と質素倹約令は、ある程度の成果が出ましたが、生活苦を理由に一揆を起こす数が歴代最高数になったのでした。

主な出来事と人物

享保の改革

目安箱/公事方御定書/新田開発/上米の制

・大岡忠相/青木昆陽(さつまいもの栽培)

・1732年享保の大飢饉

⑨徳川家重

吉宗の嫡子であり、酒食や遊びに熱心な将軍で暗愚な人物というのが家重の評価です。

それは、家重には、重度の身体障害があり、言語不明瞭でもあったことによります。

いわゆる、身体障害があるから知能も低いというステレオタイプの考え方です。

確かに大人になり、酒に溺れ、大奥に入り浸りの生活であったことは否めない部分はありますが、決して暗愚な将軍ではなかったのです。

家重には、享保の改革による負の遺産の後始末という政治命題がありました。

そこで、享保の改革に関わった老中や側近を次々と罷免し、酒井忠恭や大岡忠光、そして賄賂政治で有名な田沼意次などを起用し、強力な新体制を作りあげます。

重税のよる庶民の反感の緩和や幕府財政の立て直しをする上で、田沼意次のような商業に明るい革新的な考えを持つ人材を登用しなければならなかったのです。

人を見る目においては、随一の将軍ではなかったのではないでしょうか。

その後、徳川家重の唯一の友であり、共感者であり、通訳者であった大岡忠光が亡くなると息子・家治に将軍職を譲り、忠光の後を追うように亡くなりました。

主な出来事・人物

・勘定吟味役の充実

・酒造の規制緩和

・郡上一揆の原因追及(唯一の幕府上層部の処断)

・宝暦事件(初の尊皇運動)

御三卿体制の確立

側用人制度の復活(大岡忠光・田沼意次)

⑩徳川家治

徳川家重の嫡子であり、祖父徳川吉宗から帝王学を学んだ聡明で優秀な人物。

しかし、文武両道に優れた人物でしたが、政治面では、その優秀さを発揮することはなく、その才能は主に趣味に反映されます。

政治面においては、田沼意次の重商主義政策を採用し、意次に全てを一任します。

賄賂政治と揶揄され、稀代の悪党とされる田沼意次ですが、その政策は革新的であり、経済面を潤したのは間違いない功績です。

政治には全く興味がなかった家治は、愛妻家として有名であり、普段の生活は尊敬して止まない祖父・徳川吉宗を真似て質素倹約に努めました。

性格は、非常に気配りと思いやり、謙虚な人柄であり、将軍というよりも教養のある貴族というイメージではないでしょうか。

主な出来事・人物

田沼時代(田沼意次)

株仲間/幕府の専売拡張/印旛沼・手賀沼の干拓/長崎貿易の制限緩和(俵物・銅の輸出)

・1767年明和事件(藤井右門/山県大弐/竹内式部)

11:徳川家斉

徳川家治の養子になった御三卿一橋家出身の将軍。

幼少期より残虐な性格である逸話があり、贅沢三昧で江戸幕府の屋台骨を揺るがした張本人で歴代最長の将軍。

非常に欲深く側室を40人・55人もの子供をもうけたとも言われています。

華美な生活を好んだ家斉ですが、就任当初は、松平定信を重用し、寛政の改革にあたらせるなど政治にも関心を示していました。

その後、松平定信を罷免すると、幕政を私物化し、賄賂政治の横行や貨幣の質を落とした文政小判を大量に発行するなどのやりたい放題の政治を行います。

結果、貧富の差が激しくなり、天保の大飢饉も重なり、大塩平八郎の乱に見られる反乱が頻繁する世の中になりました。

しかし、華やかな生活を好んだ家治は、町民の間でも新たな文化を形成します。

いわゆる化政文化の誕生です。

主な出来事・人物

・1782年~1788年天明の大飢饉

寛政の改革(松平定信)

旧里帰農令/囲米の制/人足寄場/寛政異学の禁

・1833年、天保の大飢饉

1837年、大塩平八郎の乱

12:徳川家慶

徳川家斉の次男で、家斉の在位が長かったために45歳で将軍職に就任。

松平春嶽をして、凡庸の人と評され、何もアクションをしなかった将軍として後世に語り継がれています。

豪奢を好んだ父・家斉により幕府財政は火の車であり、長らくの鎖国政策に陰りが見られる時代でした。

内憂外患の時代に突入した徳川幕府において、家慶は水野忠邦を重用し、立て直しを試みます。

水野忠邦の天保の改革は、享保の改革・寛政の改革を踏襲するような政治改革でしたが、失敗に終わりました。

天保の大飢饉による物価高・株仲間解散による物流機能の低下・悪質な貨幣を大量発行したことによる強烈なインフラなど、余計に混乱を招き、締め付けだけが強かった政治改革です。

この事が幕府に頼らない藩の意識を高くさせる結果となり、一気に討幕運動の気運が高まったのです。

何もしない将軍・徳川家慶ですが、天保の改革に失敗した水野忠邦をすぐ罷免し、阿部正弘を起用し事態収束にむかわせるなど、決断力のある将軍でもありました。

主な出来事・人物

1841年〜1843年、天保の改革(水野忠邦)

倹約令/上知令/株仲間の解散/人返しの法

・為永春水/柳亭種彦/寄席縮小/歌舞伎座を浅草へ移動

・1806年薪水給与令/1825年異国船打払令

・1837年モリソン号事件(渡辺崋山/高野長英)

13:徳川家定

歴代の将軍の中でも特に病弱とされている将軍で、家定よりも正妻である篤姫の方が有名。

黒船が来航し、日本は未曾有の開国を迫られている状態の中、江戸城中にて米国総領事ハリスと引見したことは、広く知られています。

また正妻を次々と亡くし、三度目の正妻である篤姫とは非常に仲が良かったとされますが、子供を授かることはなく、将軍後継問題(一橋派と南紀派)へと発展します。

家定の死因は、コレラや脚気などと共に暗殺説まである謎多き亡くなり方をしました。

主な出来事・人物

1853年黒船来航(ペリー/ハリス)

井伊直弼(安政の大獄)

・1854年、日米和親条約

・1857年、松下村塾を開塾(吉田松陰)

14:徳川家茂

いよいよ幕末の時代に突入です。

この難局に将軍となったのは徳川家茂。

家茂は、公武合体運動を推進するために、229年ぶりに上洛しました。

朝廷から鎖国攘夷を迫られ、イギリス・フランス・アメリカ・オランダの4国連合艦隊から兵庫港の開港や関税率改正を迫られるといった苦しい決断を常に強いられた人物でもあります。

幕府の復権・回復を試みたが、最後は第二次長州征伐の際、大阪城にて病没しています。

家茂は、思慮深く頭脳明晰で人望があり、時代が違い長生きしたならば、名君になっていただろうといわれています。

あの勝海舟が、家茂の死を大変悼み、徳川家が今日滅ぶと書き記したほどです。

公武合体のための政略結婚でしたが、和宮との仲も大変よく、側室を持たなかった唯一の将軍です。

主な出来事・人物

1860年、桜田門外ノ変(井伊直弼)

尊皇攘夷運動

公武合体政策(皇女和宮降家)

・1862年、坂下門外の変

・島津久光(1863年、薩英戦争)

・禁門の変(蛤御門の変)/池田屋事件(新撰組)

・1864年、第一次長州征伐/薩長同盟(西郷隆盛・桂小五郎・坂本龍馬(海援隊))

・1866年、第二次長州征伐

▼幕末の英雄坂本龍馬がカッコいい▼

15:徳川慶喜

徳川幕府最後の将軍、大政奉還、王政復古の大号令、戊辰戦争など怒涛の時代を生き抜いた主人公。

徳川家康と並ぶほど、有名な将軍。

非常に頭が良く、晩年は多趣味で知られています。

また非常にグルメとして知られており「豚一殿」と呼ばれてもいました。

慶喜けいき様」と呼ばれることもあり、一部に人気がある将軍でもあります。

鳥羽・伏見の戦いで家臣を残し、江戸に帰還したことで臆病者と言われ、決定的に評判を落とした人物です。

主な出来事・人物

1867年、大政奉還

・1868年、鳥羽・伏見の戦い

王政復古の大号令

・江戸無血開城(西郷隆盛・勝海舟)

・戊辰戦争/奥羽越列藩同盟(河井継之助)/五稜郭の戦い(榎本武揚/土方歳三)

・ええじゃないか運動

▼幕末シリーズ記事▼

まとめ:徳川将軍ごとの出来事表

最後に将軍と主な出来事表をまとめておきます。

将軍の覚え方は、語呂合わせと代表的な出来事をセットに覚えておくと忘れにくくなります。

家がついていないのは3人で、将軍に就くはずではなかったと覚えても良いでしょう。

また、性格やエピソードなどを覚えておくと親しみやすく記憶に残るかも知れません。

自分なりの覚え方で、江戸幕府の歴代将軍を覚えてみましょう。

徳川将軍将軍名代表的な出来事
初代徳川家康幕藩体制
2代目徳川秀忠武家諸法度/キリスト教禁教
3代目徳川家光参勤交代制度/参勤交代制度
4代目徳川家綱文治政治/殉死の禁止など
5代目徳川綱吉生類憐れみの令
6代目徳川家宣正徳の治
7代目徳川家継正徳の治
8代目徳川吉宗享保の改革
9代目徳川家重側用人政治
10代目徳川家治田沼時代
11代目徳川家斉寛政の改革/化政文化
12代目徳川家慶天保の改革
13代目徳川家定黒船来航/安政の大獄
14代目徳川家茂尊皇攘夷運動/公武合体
15代目徳川慶喜大政奉還/王政復古の大号令

▼お風呂で覚えるシリーズ▼

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